260冊目
講談社文庫『失敗学のすすめ』
失敗と聞くと、どういったイメージを思い浮かべるでしょうか。何となく、嫌なもののような気がしますよね。出来れば失敗のない、平穏無事な人生を送っていきたいとか、失敗すると自分にとって大きなマイナスになりかねないとか、そういった考えを持つことはごく普通のことだと思います。そんな何かと“負”のイメージを持つ失敗の概念を根底から覆した本書が、私にとってかけがえのない1冊となったのにはある出来事がありました。
生まれてこのかた、まだ20年ほどの人生しか歩んでいない私ですが、失敗の話題には事欠きません。決して誇るべきことではないのですが、そんな私にとって最も記憶に残る大失敗についてまずは触れておきたいと思います。
忘れもしない高校二年生の冬。化学の授業での実験中、それは起こってしまいました。化学薬品の入れ忘れという些細なミスを私は犯してしまったのです。その結果、目の前のビーカーは大爆発! 爆発の衝撃波で窓ガラスは割れ、自衛隊のヘリが出動するなどの大騒ぎ。まるで漫画の一コマのような、そんな大事件となってしまいました……。私にとってこれまでの人生でもっとも記憶に残る大失敗となりました。
さてこの失敗からしばらく経ったある日のことです。当時の私はその一件からの罪悪感に心底苛まれ、周囲から鬱屈としているように見られていたことでしょう。それを気遣ってかどうかは分かりませんが、恩師である国語教師が私に1冊の本を薦めてくれたのです。それがこの『失敗学のすすめ』でした。
本書の詳しい説明は省きますが、ひと言で申し上げるならば失敗との付き合い方を示すハウツー本といったところでしょうか。「失敗とはそもそも何か?」。「起きてしまった失敗をどう生かすか」。「致命的な失敗をどう無くしていくか」など、「失敗学」の名前の通り、失敗についての深い考察がなされた内容です。
読み終えたとき、不思議と胸がスッーと軽くなるようでした。起きてしまったものはしようがない。この失敗で迷惑をかけた親や先生にせめてもの償いをしたい。自然と私の中で強い思いがふつふつと湧き上がり、勉強や課外活動にがむしゃらに励みました。この失敗体験は私にとって大きな糧となったのです。
――失敗は、新たな創造行為の第一歩にすぎない
この言葉にどれほどの勇気を与えられたか計り知れません。本書に出合えたおかげで失敗を肯定的に捉えることができるようになった私は、今のところ失敗してもそれをどうにか生かそうという気持ちでなんとかやっていくことができています。
あの大失敗から月日も経ち、私もいよいよ社会人という立場になりました。おそらく今まで以上に大小さまざまな失敗をすることになるでしょう。でも、もし失敗して落ち込むことがあったら、迷うことなくこの本を読み返そうと思います。
(2015.07.15)