247冊目
『これからの生き方、死に方』
中年になった。
自分にできること、もうできないこと、それでもやっぱりやってみたいこと…思春期以上に悩み多き日々が待っていようとは、思ってもみなかった。
私は今、敬愛する山田太一氏の二つの言葉の間を、チョロチョロと行ったり来たりしている。「自分に見切りをつけるな」「われわれは限界の中で生きている」という二つの言葉の間でだ。
今から遡ること31年前の1983年、春。「早春スケッチブック」という連続ドラマが、民放が2局しかない宮崎で、真昼間に12日間ぶっ続けで放送された。ちょうど春休みだった小5の私は夢中で観た。ハマった要因の一つとして、鶴見辰吾演じる主人公とその義理の妹との、微笑ましいんだけどちょっとセクシュアルで危うい関係性を勝手に感じとって…たぶん「萌え」ていたんだと思う(笑)。その後、「なかよし」で義理の兄妹の恋愛ものの連載を作家さんに描いてもらったりした…(影響されすぎっ!!)。
二つ目の要因は、その激しいセリフだった。山崎努演じる余命短い元カメラマンが、河原崎長一郎を家長とする、ある家族に接近し、その「平凡で幸せな生活」に「お前らは、骨の髄まで、ありきたりだ」と罵声とも言うべきセリフをどんどん浴びせていく、という今では絶対作れないであろう激しいテレビドラマだった。「適当に生きるなんてことを考えるな。体裁のいい仕事について、女房貰って、子供つくって、平和ならいいなんて、下らねえ人生を送るな」と、山崎努は信用金庫に勤める平凡な河原崎長一郎の家族に罵声を浴びせていた。痺れた。この山崎努のキャラクターはニーチェの哲学に裏打ちされたものだと知るのは、後のことだ。当時はひたすら、泣いて鼻水を垂らしながら憑かれたように長ゼリフを語る彼の熱演とセリフの壮大さに、いや、もう、本当にぶったまげて、一人の人間として目がカッと開いた瞬間だったと思う。
特に、縮こまった受験生の息子に向けて吐いた「自分に見切りをつけるな」というセリフに思春期の私はびっくりさせられ、興奮した。強烈だった。
ところが。
大学生の頃、この「これからの生き方、死に方」を手に取って愕然とした。
「自分に見切りをつけるな」なんて言わせていた上記のドラマの激しさとは打って変わって、氏の言葉はどこまでも冷静で謙虚で、ドライだった。そして、まるで正反対のことを唱えていた。「われわれは限界の中で生きているんだ、できることはほんの少しなんだ」と。
氏のドラマに発奮していろいろ夢見ていた私は、冷や水を浴びせられた思いだった。
戸惑う私に、氏はさらに語り続ける。「生きる哀しみ」をもっと知ろうと。
国や家族、容姿、才能など元々何一つ自分で自由に決められずに生まれてきた自分たちのこと、努力しても他人の痛みは結局のところわからないということ…そんな様々な「生きる哀しみ」を知らなければ、生きる歓びもないのだから、と。
まだ無限の可能性を無邪気に信じていた当時の私には正直、実感が湧かなかった。
途方に暮れた。
講演の記録や、木下恵介、河合隼雄、養老孟司ら錚々たる面子との対談を収めた本書を中年の会社員になった今、改めて読みなおしてみて氏の本意がやっとわかりかけてきた気がする。
なぜなら、あの日から31年経って私は河原崎長一郎になったからだ。「骨の髄までありきたり」になってしまった。適当に生きている。下らねえ人生を送っている。だからこそ、あのドラマでの山崎努と河原崎長一郎は二人で一つだ、とわかってきた気がするのだ。あの二つの言葉は相反したものではない。だとしたら、自分の限界と哀しみを知って、それでも自分を変えていく勇気を持つことが大人を生きることなのかもしれない。今からが本番だよ、と背中を押されているような気がしている。
山田太一氏は徹底的に冷静で、安っぽいセンチメンタルなど入る隙も与えないほどの客観性を持った人物なのに、その言葉にはいつも生きることの本当の意味を問い続ける、真面目で情熱的な青年の香りがする。
その言葉が迷える中年になった私の足元を照らす。
そしてやっぱり声がする。
「自分に見切りをつけるな」と。
よし、まずは痩せるか。
(2014.10.01)