237冊目
講談社文庫『カンガルー日和』
講談社文庫
『カンガルー日和』
著者:村上春樹
発行年月日:1986/10/15
初めてその小説と出会ったとき、私は高校生だった。それはなんと教科書に載っていて、しかも英語で書かれていた。題名は『On Seeing the 100% Perfect Girl One Beautiful April Morning』。比較的平易な英文だったため、読めば意味はわかった。けれど私は、どうもその本質をつかめてはいないような気がして、日本語で書かれたものを買い求めた。
<一九八一年の四月のある晴れた朝に、我々が原宿の裏通りですれ違うに至った運命の経緯のようなものを解き明かしてみたいと思う。きっとそこには平和な時代の古い機械のような温かい秘密が充ちているに違いない。>
透明な光に溢れている物語だと思った。『四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』は、村上春樹の短編集『カンガルー日和』に収められていた。
『カンガルー日和』には、全部で十八篇の物語が詰まっている。気づかずに失ったものや、もう二度と戻れない時間を、優しくもくっきりと描き出した作品が多い。読んでいると、今までに味わったことのないような気持ちが押し寄せてきて、野暮ったいセーラー服を着た私は、何度も胸をときめかせた。大人の世界がそこにはあって、どんな虚しさもどこかきらきらと輝いて見えたのだ。けれどそれから数年後、大学生になって久しぶりに読んだ『カンガルー日和』は、また違った印象を私に与えた。
<結局のところ、僕は彼女の町を訪れはしないだろう。僕は既に、あまりにも多くのものを捨ててしまったのだ。外では雪が降りつづいている。そして百頭の緬羊は闇の中でじっと目を閉じている。>
これは『彼女の町と、彼女の緬羊』という作品の、最後の数行である。緬羊がいる町で生活する日々もありえたかもしれないということ、そして今となってはそれが決して実現しない可能性であるということの静かな悲しみが、しんしんと伝わってくる。
ひとは生きていくかぎり、何かを得ては何かを捨てる。どこかに辿りつくたびに、決して戻れない場所が増えていく。満員電車に揺られながら、私は思わず目を閉じた。高校生のころにはなかった実感が、じわじわと湧き上がってくるのを感じていた。
私は『カンガルー日和』によって人生を変えられたわけではないし、暗記するほど読み返しているわけでもない。ただ、ときどき無性に読みたくなって、しかも読むたびごとに少しずつ違う感想を抱く。とても不思議な本だ。
どうということもない私の人生を、肯定するでもなく否定するでもなく、その本はただ黙って本棚にいる。そして私はそれをたまに取り出しては鞄に放り込み、読み終わってはぼんやり思うのだ。教室を包んでいた生ぬるい空気や、満員の西武新宿線、気づいたときにはすでに失っていたものや、もう二度と戻らない時間のことを。それらはほんのり甘い切なさに満ちていて、たまに舐めるとなかなか美味しかったりもする。忘れたことや失ったものを私に思い出させるために、これからもこの文庫本は私の人生に寄り添い続けてくれるだろう。
(2014.07.01)