226冊目
講談社文庫『古典落語(下)』
講談社文庫
『古典落語(下)』
著者:興津要
発行年月日:1972/07/15
子供の頃に愛読していたのは主に父の勤める某社の絵本たちでした。読んで大きくなりました。大きくなってからは、家の本棚に並ぶ雑多な本を漁って読んでいました。編集者という仕事は家に本を溜め込むもので、父の仕事のものか趣味のものかよくわからない本がごちゃごちゃと家のあちこちにあったのです。
ところが、本があることが当たり前すぎて有り難みがなかったのか、乱読しては内容をすぐ忘れるという有り様。いまだにそんな調子なので、出版社に勤める人間としていかがなものか、と時々落ち込みます……。ともあれ、幸運にも、いまも多くの時間を当たり前のように本のそばで過ごしています。
数年前、思いがけず学術文庫の編集部に異動になり、本の内容もろくに覚えられない私につとまるのかと日々不安な気持ちでいたときのこと。資料を探して会社の図書館をうろうろしていると、古い講談社文庫がならぶ棚にこの本を見つけました。実家の本棚にあった、なつかしい青緑の表紙。
収録されているお目当ての作品を見つけると、ページは繰らずにまず記憶をたどりました。まだ言えるかな……と暗唱してみたのは登場人物の名前です。
小学生か中学生のころ、どうしてかは思い出せませんが、「寿限無」のあの名前を覚えようと思い立ち、文庫本をにぎりしめ、やけに集中して暗記したのでした。改めて見てみると、名前にしては長いというだけで、さして長くもないし、なんの役にも立ちませんが、覚えたてのころは親に自慢げに聞かせていたような記憶があります(どうせなら「寿限無」をまるまる覚えたらよかったのに!)。
この一篇をきっかけに、私は落語にはまり、落研に入り、寄席に通うように……は全くならなかったのですが、これが落語との出会いであったことは確かです。そして、懐かしい思い出にひたった数日後、この講談社文庫版の『古典落語』が、編み直されて学術文庫に収録されていることに気づきます。編集部の書棚を見てみたら、濃紺の背表紙の粋なデザインに着替えた『古典落語』が。見た目こそ違えど、慣れない土地で古い知り合いに出会ったような、ほっとした気持ちになりました。
この本は、どこかでまた私の前にひょいと顔を出すかもしれません。そのときの自分はどこで何をしているのか、そのときの自分にとってどんな本になっているのか、何気ない一冊にもそういう楽しみがあるなと思います。
ちなみに、名前以外はうろ覚えだったので読み返してみたところ、寿限無寿限無五劫のすりきれ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶらこうじのぶらこうじパイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助ちゃんは、名字が「杉田」だったという新たな発見がありました。名前すら、きちんと覚えていなかったとは……。
ついでに見つけてしまった誤植の話もしたいところですが、「あんまり名前が長いから、原稿用紙が埋まっちゃった」。
(2014.04.01)