講談社100周年記念企画「この1冊!」

 

224冊目

『盤面の敵はどこへ行ったか 法月綸太郎ミステリー塾 疾風編』

法月綸太郎

都丸尚史
デジタルプロモーション部 40代 男

ミステリー評論の効用

書籍表紙

『盤面の敵はどこへ行ったか 法月綸太郎ミステリー塾 疾風編』
著者:法月綸太郎 
発行年月日:2013/11/30

 ミステリーが大好きで、たくさん読んでいる人でも、ミステリーの評論まで読む人は少ないでしょう。
 評論というと、どうしても堅苦しく、難解で、ややこしい印象があります。入口が閉ざされている感じがするので、読者も増えない。読者が限られてくると、ますます評論はマニアックになり、狭く深い穴を掘っていく。そんな悪循環に陥りがちです。評論の危機です(大げさかな?)。

 そういう危機を軽やかに乗り越えているのが、法月綸太郎さんのミステリー評論です。
 平易で読みやすく、わかりやすくて、しかも卓見に満ちている。
 これまで『謎解きが終ったら 法月綸太郎ミステリー論集』、『名探偵はなぜ時代から逃れられないのか 法月綸太郎ミステリー塾 日本編』、『複雑な殺人芸術 法月綸太郎ミステリー塾 海外編』と評論集3冊を愛読してきました。さらに4冊目『盤面の敵はどこへ行ったか 法月綸太郎ミステリー塾 疾風編』が昨年(2013年)末に出たのは、うれしい限りです。(以下、『謎終』『名逃』『複殺』『盤敵』と略。) 「この1冊!」では最新刊の『盤敵』を挙げておきますが、4冊すべてオススメです。
 もちろん全冊、弊社より刊行。「評論集・冬の時代にやるじゃないか、講談社」と自社自賛してしまいます。
 しかも電子書籍でも読めます。ますますやるじゃないですか、講談社!

 優れたミステリー評論には2つの特徴があると思います。
 まず、読み手が評論の対象となるミステリーをすでに読んでいる場合、「こういう読み方(解釈)があったのか!」と驚き、感心させ、「新しい楽しみ方がわかった。読み直してみよう」という、再読誘発力を持っている。
 次に、読み手が評論の対象となるミステリーを未読の場合は、「面白そうだ、読んでみたい」、「(文庫などの解説では)買おう!」という、作品ガイドにして読書(購入)欲求をかき立てる力を持っている。
 つまり、優れたミステリー評論には必ず作品に回帰させる力があるのです。

 法月さんの評論の場合、前者の例ですと、まず「挑発する皮膚──島田荘司論」(『名逃』収録)を推します。
「肌ざわり」というキーワードで、島田荘司作品を読み解いていく、スリリングな快感!
 この評論そのものが「謎を解き明かすミステリー」として成立している、法月さんの傑作です。
 後者の例ですと、パッと浮かぶのは「アメリカ本格の『台風の目』」(『盤敵』収録)。
 ジャック・カーリーの『毒蛇の園』の文庫解説として書かれたテキストですが、この作品のどこが面白さのポイントなのか、(まだそれほど知られていない)カーリーという作家のどこが魅力なのか、存分に語りつつ、余白を残していて、読書欲求をそそります。
 私はこの解説がきっかけで、カーリーを読み始めました。そして実際、面白かった!

 ちなみに法月さんの解説の難点といえば、あまりに行き届いているために、解説を読んだだけで満足してしまう場合があることでしょうか。
「ロバート・トゥーイのおかしなおかしなおかしな世界」(『盤敵』収録)というマイナーな短編作家の解説が、その一例です。作家と作品が丹念に紹介され、とりわけ各短編のさわりが絶妙に語られます。そのさわりだけで堪能できちゃう。
 ワタクシ、結局、トゥーイの短編集『物しか書けなかった物書き』は購入しましたが、未だ読んでいません。ごめんなさい。

 ここから先はマニアックな話になってしまいますが、法月さんといえば、やはりエラリー・クイーン。(どういうことかは説明すると長くなるので省略します。)当然ながら、クイーンをめぐる論考も読み応え十分です。
 代表的なものは「初期クイーン論」、「一九三二年の傑作群をめぐって」(どちらも『複殺』収録)ですが、『盤敵』では肩の力がすっと抜けて、より平明なクイーン論が5編読めます。
 この5編は法月さんのミステリー評論の白眉ではないでしょうか。
 ミステリーの歴史を踏まえながら、アメリカの社会史や映画史をからめて作品を捉え直し、新たな発見を提示する。
 その流れに澱みはなく、するりと読者は飲み込んでしまう。飲み込んでから、今までにない鮮烈な味わいにびっくりし、唸る。
 この「思いがけない発見に膝を打つ」」という点は、法月さんが敬服する故・瀬戸川猛資さんの評論を想起させます。まさに読んで面白い評論なのです。

『盤敵』には、私がもっとも敬愛するミステリー作家・都筑道夫先生に関する論考も収録されています。
 私が高校時代に最初に読んだミステリー評論が、都筑先生の『黄色い部屋はいかに改装されたか?』でした。何度も読み返し、ミステリーの読み方のみならず、物事に対する価値観にまで大きな影響を受けました。
 我が聖典ともいうべきこの評論の増補版が先年刊行された際に、法月さんが寄せた解説が、私のようなディープな都筑ファンでも瞠目するしかないほど素晴らしい内容で、とりわけ最後の一行の見事さに目を見張りました。
 これほどフィニッシング・ストロークが決まった評論は読んだことがない、と言ったら褒めすぎでしょうか。
(もちろん初めて都筑先生の評論を読む人にとっても、理解しやすく示唆に富んでいる解説であるのは言うまでもありません。)

 このように、法月さんのミステリー評論はたくさんの愉悦を味わせてくれるのですが、私にとっては別のレベルでも大きな意味を持っています。

 以前、あるトラブルに巻き込まれ、精神的にとことん追い詰められた時期がありました。
 さまざまな方々に心配をかけ、先が見えないゆえのプレッシャーがのしかかり、自分も周囲も感情が沸騰し、騒然とした日々を過ごしました。

 気持ちがちぎれそうな毎日、トラブル処理のわずかな合間に、私は『名探偵はなぜ時代から逃れられないか』を少しずつ読み返すのを日課にしていました。そう、なぜか無性に読みたくなったのです。
 読むたびに法月さんの理知的な文章がすうっと胸に染み込み、揺さぶられ振り回されていた自分の心を、なんとかつなぎ止めることができました。
 変な話ですが、この時ほど、ミステリー評論の効用を感じたことはありません。

 ミステリー、とりわけ本格ミステリーは「不可解な謎を理知の力で解き明かす」のを主眼としています。
 現実の世界は混沌としていて不分明で不可解です。それを人間の理知で解明してしまう本格ミステリーの世界は、一種の理想郷でしょう。
 ミステリーの評論は、そのユートピアに、さらなる理知をもって臨んだ、いわば理知の塊というべきテキストです。
 現実の世界の、不条理で感情的な嵐に直面し、吹き飛ばされそうになった時、自分をぎりぎり支えてくれた理知の杖。それが法月さんの評論だったのです。

 最後にもうひとつだけ。
 法月さんには20年近く前、私が『金田一少年の事件簿』の担当をしていた時にお会いしたことがあります。実は講談社文庫『小説版 金田一少年の事件簿1 オペラ座館・新たなる殺人』(絶版)の巻末で、法月さんと原作者の天樹征丸さんが対談しているのです。(現在入手できる講談社漫画文庫版、および電子書籍では残念ながらカットされています。)
 法月さんはとても丁寧に接してくださり、本格ミステリー作家の立場から『金田一少年の事件簿』の面白さを認めてくださいました。それがどれだけ救いになったか。
 その意味でも、私にとって法月綸太郎さんは恩人なのです。

(2014.02.01)

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