219冊目
『夕べの雲』
『夕べの雲』
著者:庄野潤三
発行年月日:1988/04/10
1960年代初めの、まだ茅葺屋根の農家や森がたくさん残っていた多摩丘陵の丘の上に引っ越してきた一家の物語です。小説家らしき父親と妻、娘一人、息子2人の日常が丹念に描かれています。64年に日本経済新聞に連載され、翌年に講談社から刊行されました。新聞連載小説ということで、小さなエピソードの積み重ねで成り立っていますが、構成や描写の巧みさで何度読んでも飽きることがありません。
この作品で一番好きなのは独特のユーモアです。この家族は面白い話が大好きで、家庭や学校で起きた傑作な話や、植木屋さんとか豆腐屋さんたちの独特のキャラクターなどが満載です。ただし、淡々とした調子でつづられているせいか、読んでいてげらげら笑うというよりは、苦笑とか思い出し笑いに近いかもしれません。今回読み返してみて、登場人物が(こっそりですが)笑うシーンは2か所しかありませんでした。
もう一つの特徴は、東京近郊に残っていた自然の描写です。この家族が駅に行ったり、通学したりするときに通る道は山の中に何通りもあります。「S字の道」とか「真ん中の道」とか名づけられた道には、疲れたときに腰掛けるのにちょうどよいこぶのある「椅子の木」があったり、太いツルがぶら下がっていてターザンごっこができる「あーおーの木」があったりします。私もこんなところで育ちたかったと思うような、子供たちには天国のような世界で、その楽しさがよく伝わってきます。
この物語は、引っ越してきてから数年後に、大規模な団地建設のために木々が切り倒され、赤土がむき出しになっていくところで終わります。途中で挟まれる、戦争中の主人公とその父母とのエピソードや、子供たちが成長していくもの悲しさなどが、ブルドーザーやチェーンソーの音と重なり、一家族の日常を超えた、時代や世代の雰囲気を伝えていると思います。
この作品を読んだのは40数年前の高校生の時で、たぶん図書館で借りたのだと思います。向上心(?)のせいか、難しい世界文学全集ばかりを我慢して読んでいた時期に、なぜかはまってしまいました。大学入学後も、文庫化されたものを買って何度も読み返しました。当時は大学紛争で封鎖だとかデモだとかばかりでしたし、ロックコンサートにもよく行っていました。外では「時代は変わる」とか叫びながら、アパートに帰ると、ほとんど何も変わらない、地味でのんびりした話を暗く読んでいたのでした。複雑怪奇というか、いいかげんなものです。
この作品を選んだ理由がもう一つあります。就職先として出版社を目指していましたが、昔は就職情報もあまりなく、関西の大学だったので東京の出版社のことはよくわかりませんでした。それで、大好きだった「夕べの雲」を出している出版社にあたってみようと思い、奥付に記載されている住所で「採用担当者様」に問い合わせの手紙を書きました。運良く採用されて、今日まで出版社で働き続けています。私には縁結びの神様ですが、当の庄野先生には、結局一度もお目にかかる機会がなかったのが残念です。
(2013.12.01)