講談社100周年記念企画 この1冊!:講談社文庫『渡邉恒雄 メディアと権力』

講談社100周年記念企画「この1冊!」

 

210冊目

講談社文庫『渡邉恒雄 メディアと権力』

魚住昭

高橋明男
広報室 50代 男

1千万部の男

書籍表紙

講談社文庫
『渡邉恒雄 メディアと権力』
著者:魚住昭
発行年月日:2003/08/15

 古い手帳をめくってみた。1998年12月22日に「14時読売新聞」とメモがある。ナベツネこと読売新聞社長・渡邉恒雄氏(当時、現在は読売新聞グループ本社会長)のナマの姿を見たのは、その日が初めてだった。

 政界にも絶大な影響力を行使するメディア界のドンを丸裸にしよう──ノンフィクションライターの魚住昭さんと取材を始めてから、すでに3年近くがたっていた。その間、本当にありとあらゆる人を訪ね歩いた。現役の読売記者・幹部・OBはもちろん、学生時代の知人、政界関係者、企業経営者……。ほんのちょっとでも渡邉氏のことを知っていそうな人を見つけては手紙を書き、電話をした。

 壁はぶ厚く、高かった。現役記者時代に決定的に対立したOBでも、渡邉氏の批判になるような話題には口をつぐんだ。「いくら匿名でも、読売の情報網にかかれば誰がしゃべったのかは明らかになる。そんなことになれば、老後の生活に響くんだよ」。そのOBは、どうやら企業年金のことを心配しているようだった。

 取材開始から2年が過ぎ、ドンの輪郭がようやく見えてきた頃だったと思う。渡邉氏が月刊誌『中央公論』で回顧録の連載を始めた。その頃には、我々(といっても、9割は魚住さん)が取材した人、接触した人から読売に「魚住と講談社が何かかぎ回っている」という報告が頻々と上がっていたのだろう。気に入らないものを書かれる前に「正史」を発表し、あわよくば魚住プロジェクトを潰してしまおうという意図があったのではないかと思う。実際、連載が始まると聞いて我々は愕然とした。本人語りおろしの後では、いくら取材を積み重ねてもしょせん二番煎じになるのではないか……。だが、遅々とした歩みではあったけれど2年間に蓄積した情報はダテではなかった。回顧録ではあえて触れていない事実、本人に都合のいいように書かれているエピソードが、「正史」のおかげで逆に浮き彫りになったからだ。むしろ、「渡邉恒雄研究」の歯車はこの後から噛み合いだしたように思う。

 そして、98年の12月になってからだっただろうか。読売新聞から電話がかかってきた。「社長の渡邉が魚住昭さんの取材を受けると言っています」という内容だった。周辺取材をさんざんしているのに、自分のところにはいっこうに接触してこない。不気味さが募り、とうとう我慢ができなくなったのだと思う。

 インタビューは計3回、都合10時間に及んだ。正直に告白すると、とてもチャーミングな人だった。怒って声を張り上げたかと思えば、すぐに機嫌を直してきわどい下ネタを披露する。こうやってたくさんの政治家をたらし込んできたんだな、と身構えながらも、ついつい話術に引き込まれた。2度目のインタビューの冒頭には、「前回は魚住検事の厳しい追及のせいで血圧が200を超えて、オレは寝込んだんだ」(※魚住さんは共同通信社会部で検察担当のエース記者だった)と取材を牽制するかのような打ち明け話をし、インタビューが終わると血圧計を取り出して実際に計って、「ほら、こんなに上がっている。オレが倒れたら君らのせいだ」と茶目っ気たっぷりに笑ってみせた。

 取材の成果は、99年5月号から月刊『現代』の連載「『日本の首領』渡邉恒雄読売新聞社長の『栄光』と『孤独』」として発表され、2000年6月に『渡邉恒雄 メディアと権力』と改題されて単行本になった(2003年8月に文庫化)。

 それにしても……。2013年8月現在、87歳になった渡邉氏はいまだにメディア界に君臨し、政界に多大な影響力を保持し続けている。インタビューの際に語ったこんな台詞が思い出される。 「世の中を自分の思う方向に持っていこうと思っても力がなきゃできないんだ。オレには幸か不幸か1千万部ある。1千万部の力で総理を動かせる。政党勢力だって、所得税や法人税の引き下げだって、読売新聞が1年前に書いた通りになる。こんなうれしいことはないわね」

(2013.09.01)

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