講談社100周年記念企画 この1冊!:『牙 江夏豊とその時代』

講談社100周年記念企画「この1冊!」

 

193冊目

『牙 江夏豊とその時代』

後藤正治

小野祐二
社長室 48歳 男

『あの一球』秘話

書籍表紙

『牙 江夏豊とその時代』
著者:後藤正治
発行年月日:2002/02/01

 江夏豊が捕まった──。そんな衝撃的なニュースに接したのは93年3月3日のことだった。覚せい剤所持の現行犯逮捕。それから2年が過ぎた95年4月末、仮釈放となり自由の身となる。当時フライデー編集部にいた私はなぜか、彼にインタビューをするのは、このタイミングしかないと思っていた。ほどなく、都内に住む江夏さんへダメ元で取材申し込みの手紙を書いたことを覚えている。一週間以上経っただろうか。各誌からのインタビュー依頼も殺到しているだろうし、ましてや面識があるわけでもないのだから、やっぱり、そう簡単に受けてくれるはずないよな、とも思い始めたころ、編集部に江夏さん本人から電話がかかってきた。

「あぁ、手紙読みました。取材、受けますよ」

 あまりにアッサリとOKがもらえたのは、今でも不思議な気分だ。そして数日後、ノンフィクション作家・後藤正治さんとともに都内ホテルの一室で3時間にも及ぶインタビューを行った。それが、フライデー・スペシャル95年夏号に「江夏豊の「真実」」と題して6ページの特集記事となった。以降、後藤さんは彼へのインタビューを重ね、それまでの周辺取材も盛り込み『牙 江夏豊とその時代』を刊行するに至ったわけだ。

 江夏さんの話の中で印象的な言葉があった。

「王さん(現ソフトバンクホークス球団会長)には最高の球を投げて勝負したかった」

 江夏さんの脳裏には、鮮明に蘇ってくる巨人・王貞治との真剣勝負がある。阪神入団5年目の71年9月15日、甲子園球場での阪神・巨人戦。阪神2-0のリードで迎えた9回表、2死一、二塁の場面で打者はこの日3三振の王。

 驚くべき記憶力の江夏さんは、取材当時でもすでに四半世紀近く前、王に投げたそのときの全6球を球種、コースまで完璧に覚えていた。フルカウントから投げた6球目は「外角カーブだったら120%三振が取れた」にもかかわらず、王の好きな内角高めの快速球だったという。結果、王の打球は右翼ラッキーゾーンに飛び込む逆転3ランとなった。

「入団2年目、稲尾さんの持っていた奪三振タイ記録(353個)と新記録(354個)を王さんから取った。ともに最後は空振りです。それもミートするような振りじゃない。江夏の球をスタンドにぶち込んでやる。そんなすごい振りだった。打者にとって、三振記録に残るのは不名誉なことじゃないですか。でも王さんは渾身の力を込めて振ってくれた。以来、思ってきたんです。王さんこそ俺の最高のライバルだと。だから、王さんの苦手な外側に投げておけという気にはならない。王さんの手の出るコースで、そこへ自分の最高の球を投げたかった。それが王さんへのいわば礼儀だと、ね」

 取材の最後に好きな言葉を色紙に書いてもらった。まるで王へ投げたあの一球を確かめるように左上角に「誠」の字。このサイン色紙は私の宝物になっている。

(2013.03.01)

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