187冊目
講談社文芸文庫『回想の太宰治』
講談社文芸文庫
『回想の太宰治』
著者:津島美知子
発行年月日:2008/03/10
仕事で本書を読むことになった。冒頭にある「回想」のタイトルは「御坂峠」。その峠の天下茶屋にいる太宰を、妻になる前の美知子さんが訪ねた際のものである。
「天下茶屋は“富士には月見草がよく似合う”の『富嶽百景』に出てきたな」などと思い出したので、その「御坂峠」を読み終えるや、太宰の『富嶽百景』を再読してみた。
すっかり忘れていたのだが、この作品には太宰の結婚話がちらと出てくるのだ。最初のほうに「或る娘さんと見合ひすることになつてゐた」ので、師の井伏鱒二とともに御坂峠の天下茶屋から甲府へ向かう場面がある。実際にその「娘さん」の顔を見て「多少の困難があつても、このひとと結婚したいものだ」と思うことになる。
美知子さんの「御坂峠」には、以前に甲府市内の彼女の実家で太宰と対面している記述があるので、ぴったり照応する。
これはこれはお見それしました、といった感じだ。筆が立つこの女性が、『富嶽百景』から登場していたわけである。
結婚したのが1939年(昭和14年)1月で、太宰が死ぬのは1948年6月。つまり、夫婦でいた期間は10年に満たない。ただ、太平洋戦争を挟む多難な時代だった。
実は、太宰はこの見合いの前年(1937年)には心中騒ぎを起こしている。太宰を心配した井伏が御坂峠の天下茶屋に呼びよせ、小説の執筆と見合いを勧めたわけである。
美知子さんは、この見合いのとき26歳、山梨県の高等女学校で地理と歴史を教える教師だった。その文章は、本書解説の執筆者・伊藤比呂美さんが「文学的な科学者の随筆のようなたしかさ」と記しているとおりのもの。
「(太宰は)近視眼であったが、精神的にも近視のような感じを受けた」などと、著者はさらりと書いてのけるが、このたぐいがあちこちにちりばめられているので、読んでいて飽きることはない。
バラの苗の押し売りに遭って、うろたえる太宰。『善蔵を思う』に使われたエピソードだが、美知子さんにはその脚色ぶりが気に入らない様子。なにしろ小説には自分が「家内」として登場させられているのだから。ちなみに、太宰はこの押し売り騒動の後日談ともいうべき内容のエッセイ『市井喧争』も書いていて、そこでは「妻」に対応の仕方の拙劣なことを笑われている。
死の年には、税務署から想像もしていない納税額の通知書が届いてまたまたうろたえる太宰。自身が税務署へ行って申し開きをするわけではない。太宰がしたためた書き付けを手に、子どもを引き連れて税務署、さらには国税局まで出向いたのは美知子さんであった。多くの読者も、伊藤さんの解説にあるとおり「太宰のだめ夫ぶりにうんざりし」ということになるだろう。
ともかく、今も国民的人気作家・太宰治の人となりを知るには恰好の書物である。そしてこれを読んだあとは、1939年以降の太宰作品のいろいろなところで美知子さんと出会える楽しみも生まれるのだ。
(2012.12.15)