講談社100周年記念企画 この1冊!:講談社文庫『晩年の子供』

講談社100周年記念企画「この1冊!」

 

183冊目

講談社文庫『晩年の子供』

山田詠美

舘岡茜
広告第二部 26歳 女

大人になる って何だろう

書籍表紙

講談社文庫『晩年の子供』
著者:山田詠美
発行年月:1994/12/15

私は、こまっしゃくれていました。

 この一文に私が衝撃を受けたのは小学4年生のころだ。調べたら”こまっしゃくれた”とは”大人びて生意気なこと”だと分かった。「海の方の子」という短編小説の冒頭文である。

 当時、図書館で借りた本を大事にうちに持ち帰り、自信満々に「お母さん、わたし山田詠美が好き!」と言ったら即座に「やめなさい」と言われた。小学生に”山田詠美”はまだ早いということらしい。お母さん、何か勘違いをしてる…。

私は、まわりの子供たちよりも色々なことを知っていると、自負していました。人よりも沢山の本を読んでいるとか、人の気持をすぐに読み取ってしまうとか、人よりも色々な土地を知っているとか、そういうことを常に意識して、小さな子供たちの中にいる体の小さな大人の自分としての責任を、まっとうすべく生きていました。

 自分のことだと思った。「体の小さな大人の自分」という表現がぴったりで、嬉しかった。小学校に入学した頃から私の中にもこの感覚があったからだ。何となく「親や先生が望む子供らしさ」を演じるのが義務だと思っていて、時々それが自分でも窮屈だった。

 物語は、順風満帆な小学校生活を送る主人公(女の子)が、転校先の学校で、嫌われ者の哲夫くんに近づくところから始まる。彼は、片方の目が不自由で義眼を入れており周囲に心を開けない”不幸な人”。だから私だけでも理解者になってあげたい、と思う一方で、”優しい自分”に酔いしれる主人公。哲夫くんはそんな偽善を拒絶し続ける。

「可哀想だろ」
「…」
「可哀想な人間に手出しをしない方がいいぜ。困ったことになるんだから」
「ごめん…」
「謝んなくたっていいよ。おれ、自分では、可哀想なんて想ってねえもん。(中略)人を可哀想だって思うのって気持いいだろ。冗談じゃねえや。おれ、そんなら嫌われてた方がいいや」

 私の中で、それまでに読んできたどんな図書館の児童書とも違う。魔法使いは出てこないし、勧善懲悪、愛と勇気の綺麗ごとでは済まされない。世界はもっと生々しく混沌としていて、偽善や嘲笑の中の自尊心こそが現実なのかもしれない。そう思わせてくれた作品だった。憧れて、この作品を真似た小説を書いたこともあった。

「お母さん、わたし将来は山田詠美さんみたいな作家になりたいの」我ながらそんなおこがましいことをよく口にしたものだが、本や雑誌への想いはこの一冊から始まったように思う。思い出の一冊である。取り上げずに見守ってくれた母に、感謝!

(2012.11.15)

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