講談社100周年記念企画 この1冊!:『青インクの東京地図』

講談社100周年記念企画「この1冊!」

 

179冊目

『青インクの東京地図』

安西水丸

山田昌輝
書籍宣伝部 50代 男

街と人と

書籍表紙

『青インクの東京地図』
著者:安西水丸
発行年月日:1987/03/10

 夏の終わり、アトリエの美術本の虫干し。本棚の下に敷いた古新聞の日付は2005年と、1999年のもの。

 豪華本と呼ばれていた頃に買い求めた全集、時々の編集者と装丁家が制作した箱やカバー、表紙などを見比べると、時代と流行がわかる。のりの匂い、紙の色の違い、写真の退色の差…。

 ミンミンゼミ、ショウリョウバッタ、コオロギの鳴き声がミックスする。夕方、西の空に拡がった刷毛で描いたような秋の雲をみていると、荒井由実や山下達郎の声がリフレインする。

 美術本を床いっぱいに箱から取り出し開いて立てかけたあと、単行本や新書・文庫の整理に移る。

 いつの間にやら、妻の蔵書が増えて、私の学生時代からの在庫が減り廃棄されてしまっていることに呆然とする。時間の流れ、時代と流行がわかる。

 カバーがはずされた、むき出しの白い表紙の1冊。

『青インクの東京地図』
安西水丸 装丁・著作の本に目が留まる。
昭和62年3月10日 第1刷発行
発行者 野間惟道

 この年、1987年3月。私は胆石の摘出手術で新橋のJ病院に入院。新年から雪の多い年で、都内にも残雪があった。身重の妻が所沢からたびたび見舞いに来てくれていた。

 入社以来、有給休暇をほとんど取らず、仕事と野球を楽しんでいたとある日、激痛で目覚め目白台の社宅からタクシーを飛ばして築地のS病院にかけこんだのだがそのときは何も原因がわからず、スポーツ心臓ですかねえなどと、姉の同期の優秀といわれていた心臓外科の医師に告げられた。

 それから3年がたっていた。
 書籍宣伝部で文芸第一を担当していた。そのときの1冊だった。
 今は少なくなったが、当時の単行本にはその本の担当編集者が作った奥付広告があって、この本にも3頁にわたって四角く囲まれた枠の中に6本ずつきれいに並べられている。

 津島佑子『夜の光に追われて』、宮本輝『避暑地の猫』、村上龍『走れ!タカハシ』、渡辺淳一『長く暑い夏の一日』、吉行淳之介『人工水晶体』、村上春樹『回転木馬のデッド・ヒート』、丸谷才一『忠臣蔵とは何か』、山田詠美『ハーレムワールド』などに混じって常盤新平『遠いアメリカ』、椎名誠『フグと低気圧』など当時の売れっ子作家が並んでいる。

 田舎から上京した私にとって、東京というところはとても広くて、いろんなものがたくさんあって、毎日散歩して探検して白地図を水彩色鉛筆で彩色していきながら、作家やタレントの紀行文をよく読んだ。日々変化する巨大な生き物のようなところと、本当に田舎以上に静かで古めかしいところがあって、興味深い。そんな中でこの1冊が妙に私の青春時代と重なるところが多く、今も大切な私のアルバム代わり。

 東京生まれで日芸を出て電通に入社し、後に独立。NYで学んだイラストレイター安西氏と、岡山の田舎で生まれて大学受験から東京に出てきて小さなスケッチブックをかばんに入れて街探索をし、コマーシャルアートに興味があった私との接点は街と人なのかな。

 本のあとがきに
「人はさまざまな星の下に生まれ、悲喜こもごもに生きていくわけだが、あんがい自分の歩いた道だけは忘れないものだ。ぼくはそんな道を歩きながら、路地をぬけながら、人々との邂逅が風に吹かれて漂っているのを感じた。」
 とある。

 ちょうど一回り先輩の安西氏の東京─NY─東京という視点の変化と、私の岡山─東京という空間の変遷が一致して「この1冊!」と呼びたくなったのである。

(2012.10.15)

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