173冊目
『錨を上げよ(上下)』
『錨を上げよ(上下)』
著者:百田尚樹
発行年月日:2010/11/30
2010年8月1日から1年間、私は講談社労働組合の委員長を務めていました。任期中には、東日本大震災や野間佐和子社長の逝去という大きな出来事がありましたが、11月30日刊行の本作への関わりも、私にとって忘れられない記憶となっています。
著者の百田尚樹さんから手書きの原稿コピーをお預かりしたのが、ちょうど8月1日でした。その後、所属部署の部長や他部署の同僚たちの助けもあって他社との争奪戦に勝ち、自社での刊行が決まったことは本当に幸いでした。
約200枚の加筆を経て、出来上がった単行本は上下巻合計1200ページ、原稿枚数2400枚に及ぶ大作となりましたが、本作には当初から読む者を圧倒するパワーがみなぎっていました。
初読時にまず驚嘆させられたのは、物語の吸引力と密度の濃さです。ご自身が公言されていることですが、本作は刊行より25年も前に百田さんが初めて書かれた小説がベースになっています。当初「作田又三の冒険」というタイトルだったその物語は、キャラクターやストーリー展開、そして細かいエピソードに至るまですべてが完成しており、そういう点での手入れはほとんど必要ありませんでした。デビュー作『永遠の0』やその後の諸作品でも発揮されている百田さんのストーリーテラーとしての力は、この時点で既に図抜けたものになっていたのです。
当初の手書き原稿では改行が極端に少なく、原稿用紙何枚にもわたってすべての枡目に文字が埋まっていました。それでもどんどん読めてしまうところに百田さんの筆のマジックがあるのですが、そのままでは活字に組んだときにあまりにも各ページが真っ黒に見えてしまうので、改行を増やしていただきました。本がお手元にあれば開いてみてください。増やしてこれなのかと驚かれるかもしれません。
ただ、私が驚いた密度の濃さとは、文字の量ではありません。物語の流れがどこまで行ってしまうのかという切迫感が、尋常ではないと感じたのです。第一章で主人公・作田又三がふらりと出かける単車の一人旅は、その一例です。まったく先が読めないここでの破天荒な道行きに私はテンションが上がってしまい、その興奮を伝える電話を夜、自宅から百田さんに掛けました。ですが、ここはまだまだ作品のさわりに過ぎず、まさに息継ぐ暇もない高密度の物語が、以降も全篇にぎっしり詰まっているのです。
「才能とは何か」「運命とは何か」「生きるとはいかなることなのか」──本書を通じて考えさせられることは、読む人によってそれぞれかもしれません。ベタを承知で言うならば、私にとってこれは「愛についての物語」でした。
又三の恋愛に関係する女性は総勢20人近くも登場します。付き合いの濃淡はさまざまですが、彼女たちが彼の元を離れるたびに、私は又三と同化して傷つき、打ちひしがれました。上巻の中田百合子と小野田純果、下巻の依田聡子との別れが特にせつなかったことを告白しておきます。
主人公は振られてばかり、みずからの短気や身勝手さが仇となって波瀾万丈の過酷な人生を歩んでいきますが、それでも本作が暗く、悲観的な小説にはならず、むしろ生きる勇気を与えてくれる物語になっているのは、人が前向きに生きる美しさが描かれているからだと思います。本書においては前向きどころか前のめりかもしれません。そこにも私は惚れています。
『錨を上げよ』は百田尚樹さんの自伝的小説というように紹介されることがあります。たしかに百田さんの人物像が投影されているところがあり、人生の舞台に重なる部分もあります。しかし、それらはすべて小説のために吟味された結果であり、当然ながら相当にフィクションが織り交ぜられているのです。たとえば主人公の家族構成はご本人とはまったく違いますし、作中で又三が訪れるある外国へは、実は著者は一度も行ったことがないのです。
2011年に本作を第32回吉川英治文学新人賞候補にできたことは喜びでした。百田さんと二人で選考結果を待っていて、受賞できなかったのはとても残念でしたが、選考委員の浅田次郎さんより、選評で「これほど物語の推進力に満ちた長篇は類を見ない」「(長いとしても)省く部分が見当たらなかった」と推していただけて救われました。続く本屋大賞では4位を獲得しました。1位ではないとしても誠にありがたいことです。
こうして評価してくださる方がいらっしゃる一方で、強い否定的感想を持たれる読者もおられました。プラスマイナスの評価が極端に分かれる作品だという話を百田さんとしていて、その後の新しい帯には「絶賛か酷評か」「熱狂か断罪か」というコピーを付けさせていただきました。
未読の方は勇気をもって挑んでください。「貴方はどう生きるのか?」読む者の人生を問い直す、これは実に危険な書です。
(2012.09.15)