165冊目
『羊をめぐる冒険』
『羊をめぐる冒険』
著者:村上春樹
発行年月日:1982/10/15
「鳥肌が立つ」という慣用句がある。辞書類にはだいたい「恐怖や嫌悪感、寒さなどで、皮膚が毛をむしった鶏の皮膚のようになる」といった語釈が載っている。近年では「感動して鳥肌が立った」というような使い方もよくされていて、辞書の編集スタンスによって、その用法を認めていたりいなかったり、というのが現状である。個人的には、すでに広く用いられているのだから「感動」のような用法を認めたほうがよいと考えているが、それはさておき、このイディオムを目にするたびに、いつも思い出す小説がある。『羊をめぐる冒険』である。
説明するまでもなく、1982年に発表・刊行された村上春樹の代表作のひとつでベストセラーだが、この小説の後半に「 羊男」が登場するシーンがある。秋の終わりの北海道、山の上の草原、白いペンキがはがれ落ちた古い2階建ての大きな家、午後2時、居間のソファーで本を読んでいるときにドアにノックの音、「ドアを開けると、そこには羊男が立っていた」。頭からすっぽりと羊の皮をかぶっていて、背丈は150cmぐらい、猫背で足が曲がっている羊男が突然登場するシーンだが、ここで私の全身には鳥肌が立った。関西風にいうと「さぶいぼ」が立った。
村上春樹の小説の魅力のひとつに、日常の時空から非日常の時空へスッと入っていく展開がある。それを最初に味わったのが、この羊男の登場シーンだった。現実の目の高さにとどまっていたイメージが、グンと空高くまで広がっていった感じがした。それ以降、私のさまざまな物事に対するイマジネーションは広く自由になったように思う。村上作品は他にも好きな作品はたくさんあるが、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』の4部作は特に好きな作品である。なかでも『羊をめぐる冒険』は忘れられない作品だ。
さて、冒頭の話に戻るが、羊男登場のときに鳥肌が立った理由は何であったのか。まず、寒さのためではない。嫌悪感というのでもない。恐怖は、多少あったかもしれないが、それだけではない。しかし「感動」という一言では言い表せない、ワクワクゾクゾクするような、解放感のような、絶妙な料理の味のような、そんな複雑で微妙で不思議なものが鳥肌の原因だったのではないかと思う。
(2012.08.01)