講談社100周年記念企画 この1冊!:『名門!第三野球部(1)〜(31)』

講談社100周年記念企画「この1冊!」

 

163冊目

週刊少年マガジンKC『名門!第三野球部(1)〜(31)』

むつ利之

石井徹
ヤングマガジン編集部 53歳 男

プロ野球選手が選ぶ野球マンガ

書籍表紙

週刊少年マガジンKC
『名門!第三野球部(1)〜(31)』
著者:むつ利之
発行年月日:1988/03/17〜1993/07/17

 2011年のフジテレビ「すぽると」で、プロ野球選手100人にアンケートを取った結果、なんと1位がこの漫画でした。ドカベンが1位だと思っていたら2位でした。たぶん日本で1番驚いたのは担当だった私でしょう。現在の巨人の杉内投手や西武の中村選手がいいと言ってくれたので、2度ビックリです。この漫画は不思議な漫画で、連載が終わって20年近くなるのに結構野球少年たちが知っています。なんでも先輩たちが全巻部室に置いていって代々読み継がれているのだそうです。しかし連載にこぎつけるのにこんなに苦労した作品はありません。

 1986年の話になりますが、私は月刊少年マガジンから週刊少年マガジンに、編集長といっしょに人事異動しました。私はイヤでイヤで堪りませんでした。月マガを4年で20万部から99万部までして、100万部は目の前なのです。しかも当時週刊少年ジャンプは450万部でマガジンはその3分の1。毎週のように実売が下がっていました。要は建て直しにいくのです。編集長に「そんなに行きたけりゃ、あなただけ行けばいい!」と言ったら大喧嘩になりました。結局強引に異動させられました。

 しかし漫画家はジャンプに行ってしまうわけです。手があいている作家で、とにかくカンフル剤を打つしかないのです。なんとか86年度中に下げは止まり若干上昇しました。しかし時間と作家が圧倒的に少ない。よって決定打となる作品ができないのです。十二脂腸潰瘍と神経症に悩まされながら、不安のまま86年は終わりました。

 翌年の1987年に偶然漫画家のむつ利之さんと会いました。確か「たけし軍団」と漫画家のイベントだったと思います。むつさんは元々ギャグ漫画家です。85年まで月マガでギャグ漫画を描いてもらっていました。むつさんのギャグ漫画は、読んでいると不思議なことに哀愁を感じるのです。泣かせのストーリー漫画をやらないかと思い切って言いました。それが後の「名門!第三野球部」の原型です。しかし他社の編集長に芸術的なオベンチャラで口説かれて、他誌に行ってしまいました。仕方がないことです。漫画で食っていくことは大変なことですから。余談ですがこの「芸術的オベンチャラ」は紙面の都合上書けませんが、聞いていてひどく感心し、思わずメモしていました。私もオベンチャラでは黒帯初段だと自負しておりましたが、この人は5段か6段クラスだと思いました。

 早速2年ぶりに、今度はストーリーで勝負することになりました。2年間お互いにネタを無意識に考えていたんでしょうね。ドンドン面白い話ができて、あっという間に絵コンテ(鉛筆で描く漫画です)が6話分できました。編集会議は一発で通ると思っていたら、意見が真っ二つに割れました。私は正直驚きました。全員賛成だと思っていましたから。特に反対していたのは、なんとあの編集長。このオジサンとは全く意見が合いませんでしたね。載せろ、載せない、の大喧嘩があったのです。まあ何とかケンカ腰ではありますが連載が決まりました。そして人気投票1位です。他の作品も徐々にいいものができて88年には220万部になりました。そして89年末には4番打者「はじめの一歩」が登場します。マガジンは高度成長期に突入しました。『名門!第三野球部』は1番打者だったと思います。マガジンに火を点けてくれた作品です。

  残念ながらこの作品は2002年にすべて絶版になりました。しかし今も野球部の部室で、手あかも付きボロボロになっても少年たちが回し読みをしているのです。

(2012.07.15)

講談社の本はこちら

講談社BOOK倶楽部 野間清治と創業物語