152冊目
講談社文庫『一命』
講談社文庫
『一命』
著者:滝口康彦
発行年月日:2011/06/15
私は食べ物の好き嫌いがほとんどない上に、食わず嫌いをしない人間である。
海外に行く機会も幾度かあったことから、様々な食文化に接したが、その都度あらゆる食材にチャレンジしてきた。食べ物については、酸いも甘いもまずいも知り尽くしているといっても過言ではない!(あきらかに言い過ぎである)
さて、食べ物に関してはよくも悪くも節操のない私だが、本を読むときにはかなり偏った読書性向を持っていた。学術書や新書は好んで読む一方、小説について言うとミステリー以外はほとんど読んだ記憶がない。
大学を卒業後、就職活動を終えてプータローをしていたある日、私は映画館の前をふらりと通り過ぎた。ふと見上げた看板には、『一命』と題された映画と小さく書かれていた内定先・講談社の名前。そこで一言。
「大人一般で1枚」
こんな調子で見た映画が、私の偏向的な読書性向を変える分岐点であった。映画をきっかけに、原作・『異聞浪人伝』(滝口康彦著)を読むべく購入したのが、『一命』と題された滝口康彦の短篇集であった。10年前に読んだ司馬遼太郎作品が肌に合わず、それ以来食わず嫌いをしていた歴史ものへの再挑戦である。
『異聞浪人伝』は、病床の妻子を置いて武家屋敷の庭先で自刃して果てた浪人・千々岩求女をめぐる悲哀の物語である。次第に明かされる彼の切腹の理由。わずか30ページあまりの短編でありながら、人の命の儚さが濃厚に描かれている。
他にも、武家の殉死の意味を問う『高柳父子』や正直が故の不幸を描いた『謀殺』など秀逸な短編が収録された本作『一命』。共通して武士の時代の物悲しさ、一種の「もののあはれ」を感じさせる一冊だ。
『一命』に深い感銘を受けた私は、山本兼一著『火天の城』(共に文藝春秋)、葉室麟著『秋月記』(角川書店)といった歴史モノを読みあさることとなる。さらに、歴史小説を食わず嫌いしていたことを反省し、多彩なジャンルの作品に手を出すようになった。例えば、SF小説の『華氏451℃』(レイ・ブラッドベリ著、早川書房)や経済小説の『巨額粉飾』(嶋田賢三郎著、新潮社)などなど…プータローの私は、有り余る時間を使ってたっぷりと新たな世界を楽しめたわけだ。
自分の世界観を広げてくれた“この一冊”には心から感謝したい。
(2012.06.01)