講談社100周年記念企画 この1冊!:『100万回生きたねこ』

講談社100周年記念企画「この1冊!」

 

150冊目

『100万回生きたねこ』

佐野洋子

王伶舒
平成24年度新入社員 20代 女

物語に救われる人もいる

書籍表紙

『100万回生きたねこ』
著者:佐野洋子
発行年月日:1977/10/20

 何度も読んでいるのに、『100万回生きたねこ』のラストを聞かれると、私はいつもハタと止まってしまう。

 本書の主人公は、100万回も死んでは生まれ変わっている、立派なトラ猫だ。彼は誰のことも好きでなく、誰にも想いを寄せることなく、いつだって自分が一番好きで、でも死ぬのが全然怖くないくらい、自分のことすらどうだっていいくらい、空っぽな猫だ。いつも、自分が何回死んでいるか自慢ばかりしていた猫が、白いメス猫に出会う。二人の間にはたくさんの子猫たちが生まれて、トラ猫は白猫と子猫たちを、自分よりも好きなくらいになる。けれどトラ猫も白猫もいつしか年を取って、ある日、白猫は死んでしまう。トラ猫は白猫の体を抱きかかえてウォンウォン泣いて、自分も死ぬ。そしてトラ猫はもう二度と生き返らなかったという、そんな話だ。

 けれど、思い返すたびに、私の中で物語のラストは変わっていくのだ。トラ猫は死にたくないと思いながら、白猫と子猫たちを置いて死んでしまったという話じゃなかったかな。もしくは白猫だけ死んだのに、トラ猫は死にたくても死ねなくて、ずっと一人ぼっちで生きていく話だったっけ。そこで私は本を引っ張り出し、ページをパラパラめくりながら、「ああ、そうだった、こんな話だった」と思い出していくのである。

 でも、私がいつも勘違いしてしまうラストも、勝手な思い込みかもしれないが、そんなに間違っているものではない気がする。これはようするに、孤独の物語なのだと思う。ずっと孤独だったけれど、最後の最後で愛を知り、死んでいく。生まれてくる時と同じように、死ぬ時も一人だ。でも、愛を知ったら、一人ではあっても、孤独ではない。あるいは、孤独ではあっても、寂しくはない。そして愛を知ったら、もう人は、いつ死んだっていいのかもしれない。だから、白猫が死んだ後にトラ猫も死んだという話も、白猫を残して死んでもトラ猫は生き返らなかったという話も、私にとっては同じ話なのである。

 私はずっと、人間は一人で生まれて、ある意味一人で生きて、そして一人で死んでいくものだと思ってきた。誰と分かり合ったつもりになっても、誰と愛し合ったつもりになっても、死んでしまったら何も残らない、と。そもそも、愛し合ったつもりにしか、人間はなれないのではないだろうか、と。けれど、もしも死んでしまっても孤独でなくなるほどの愛に出会ったら、きっと救われるのだろうとも思う。この本は、私にそんな希望をちょっと見出させてくれる、心にしみる本なのである。

 この本に、私は救いを与えられた。そしてもっと、こういった本に出会いたいと思って、出版の道を行くのである。

(2012.06.01)

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