145冊目
『ぼくを探しに』
『ぼくを探しに』
作:シェル・シルヴァスタイン
訳:倉橋由美子
発行年月日:1979/04/12
ひとは子供のころ読んだ本で造られる、と思う。たんに自分が子供時代からちっとも成長していないせいかも知れないが。
自分に役立つ何かを付け加えたり、変化させたりするための読書ではなくて、上書きできない感覚や根っこの価値観の部分でひとりの人間を造り上げるのは、思春期までに読んだ言葉ではないか。『ぼくを探しに』はたぶん私にとって、そんな本の1冊だ。
「ぼくはかけらを探してる/足りないかけらを探してる/ラッタッタ さあ行くぞ/足りないかけらを探しにね」
たぶん中学1年か2年生のころ読んだこの本は、絵本は子供のためのもの、というそれまでの認識を裏切り、白地に黒い線だけで描かれたシンプルな絵と、添えられたごく短い言葉が何とも印象的で、たちまち心をつかまれた。
原題は「missing piece」。円形の一部が欠けた「ぼく」が、自分に足りないかけらを探しに旅に出る。欠けているからうまく転がれないが、のんびり野越え山越え、歌をうたいながらの旅はどこか楽しそう。長旅の末、ついにぼくはぴったりのかけらとめぐり会う。ところがいざきれいな円形になってみると、あまりに速く転がりすぎて歌をうたう余裕もないのだ。「なるほど、つまりそういうわけだったのか」とぼくはつぶやき、かけらをそっと離して、元の姿で転がっていく。
講談社に入って驚いたのは、配属された文芸局に、かつてこの本を作った編集者のMさんがいらしたこと。フランス語に堪能で古典に精通した教養人のMさんは、ごつい身体にきらきら光る黒い大きな瞳が特徴的で、いつも目の前の現実の向こうに、もうひとつの世界を見ているような人だった(後にそのご自慢の息子さんが、ネット証券の先駆け・マネックスを創業したのは妙に納得できる気がする)。魅力的な翻訳は作家の倉橋由美子氏。当時その担当だった先輩女性編集者は、「倉橋さんはね、この本の印税で娘さんを大学まで出したっておっしゃるのよ」と言っていたが、それもそのはず、当時すでにこの本は50刷以上、おどろくべきロング・ベストセラーだったのだ。
子供のころは気づかなかったが、「あとがき」で倉橋氏は、「子供にはこの絵本が示しているような子供の言葉では言いがたい複雑な世界が必要なのではないか。その世界を言い表す言葉を探すこと、これも子供にとってはmissing pieceを探すことに当る。」と言っている。うーん、なんて素敵なんだろう。世界を言い表す言葉を探す、生きるとはそういうものであると感じとった子供たちが、いまもどこかで育っているのに違いない。
(2012.05.15)