講談社100周年記念企画 この1冊!:『行け!稲中卓球部(1)〜(13)』

講談社100周年記念企画「この1冊!」

 

142冊目

ヤンマガKC『行け!稲中卓球部(1)〜(13)』

古谷実

溝口真帆
おとなの週末編集部 30歳 女

『稲中』を読んで笑うということ

書籍表紙

ヤンマガKC
『行け!稲中卓球部(1)〜(13)』
著者: 古谷実
発行年月日:1993/11/06〜1997/02/06

 ショージキ、迷いました。

 公の場で、うら若き女性が(というほどみずみずしくはないですが)これを推していいものかと。

 しかし、「あ、アレがあるじゃん」と一度思いついてしまったらもう、だめでした。

 ほかの候補を考えてみるも、どれもこれもやや薄味。ひりひりするような青春時代のかたわらにずっとあったこの本には、どうしてもかなわないのでした。

 というわけで、『行け!稲中卓球部』です。以下、愛を込めて『稲中』と呼ばせていただきます。

 未読の方のために少しだけご紹介します。

『稲中』は、「稲豊中学校」に通う卓球部の男子部員たち6人を中心に繰り広げられる、青春群像ギャグ漫画です。

 卓球部員のひとり、「井沢ひろみ」(『あしたのジョー』の矢吹丈に憧れていて、あのヘアスタイルを真似するため、毎朝ハードスプレーを2本使っている)が、飼育係だったにもかかわらずうっかりニワトリをホームレスのおじさんに食べられてしまい、かわりにそのおじさんを「サンチェ」と呼んで愛をはぐくむ回。

 井沢の親友、「前野」(作品内きっての変人だが、寂しがり屋でデリケートな一面も。下の名前は最後までわからないままだった)が、電車の中で出会ったクールなイケメンを洗脳、「カンチョーワールドカップ’95」でともに熱い戦いを繰り広げる回。

 同じく部員の「田中」(普段は無口だが、だれよりも腹黒く破廉恥。同じく下の名前はなし)が、苦労してゴミ袋に1年分のオナラをため、部室に“投下”。気絶した部員たちに卑劣の限りを尽くす回。

 どれもこれも、入神の作です。え? 伝わりませんか?

 第1巻が店頭に並んだのは1993年秋。私はその翌春、中学生になりました。そして最終巻の第13巻が発売されたのが1997年。私はその年に、中学校を卒業しました。

 はじめは、同じクラスの小川ヨウヘイくんに借りたのだったと思います。

 それからはずっと、私の中学時代は『稲中』とともにありました。

 「イナチュー」

 そう呟いてみるだけで、放課後の教室の日向くささや、梅雨時にズックが廊下をこする音や感触、通学で使っていた無人駅のせまくてタバコくさい待合室、実家を出た姉のスペースががらんと空いたままの自室などがありありと思い出されるのです。

 『稲中』を読んで笑うということ。それは、単純なことではありませんでした。

「片田舎の中学校」という小さなハコの中には、「稲中で笑う者」「稲中を嗤う者」の2種類の人間が存在していて、「稲中サイコー!」とこぶしを突き上げる生徒たちがいる一方、「あんなのくだらねー」とそれを蔑む人たちがいました(もちろん、教師たちの多くはこちらに属していました)。そして前者は後者にバカにされつつ、さらに「あの笑いがわからないなんて、かわいそうなやつらだ」とこっそり見下す、二重構造のようなものが存在していました。

 そして、私には「自分は『稲中で笑う者』だ」、という自負のようなものがありました。

「稲中で笑う者」は、天真爛漫……わるく言えばバカに見えたかもしれませが、何というか、人はあまねく自由であること、世界はもっと広いということ、それに比べて自分は小さいということなどを知っている人たち、という感じがなぜだかしたのでした。

 自分がいつイジメのターゲットになるのか分からない、ピンと糸がはりつめている、しかしその糸に気付かないふりをするような学校でした。そんな中で、心の底から笑うのは、本当に難しいことでした。

 少なくとも私にとって、『稲中』を読んで笑うことは、「ここよりももっと広くて面白い世界があるということを知っているのだ」「私はここではないどこかへ行きたいんだ」と主張することにほかならなかったのです。

 そしてそれは、息苦しくてしかたがない青春の中にあって、まぎれもなく救いだったのでした。

 作者の古屋実さんはその後、ギャグ漫画からは距離を置き、『ヒミズ』や『シガテラ』といった恐ろしいまでにピュアで、痛々しく、混乱した青年たちの姿を描きだしていくわけですが、それらを読んで、いくぶん成長していた私は「ああ、なるほど」と思ったものでした。

 こういうものを作りたかった方だからこそ、あの『稲中』を生み出し、いったい何をどうしていいのかわからなくてもがいていた中学生たちの心をわしづかみにできたのだなあ、と。

 あなたは「稲中で笑う者」ですか?

 

蛇足

 以前、ユニクロで買ったと思しき「死ね死ね団」※のTシャツを、それと知らずに(!)着ていた恋人がいました。「この人とは長くないかもしれないなあ」とぼんやり思いましたが、やっぱりじきにだめになりました。「死ね死ね団」を知らないなんてありえませんね、いやマジで!

※正式名称は「ラブコメ死ね死ね団」。井沢と前野が幸せな男女を憎むあまりに生まれたユニットで、犬の着ぐるみを着てデパートの屋上にあるようなパンダの乗り物に乗り、カップルを襲うことを目的とする。(元ネタは『愛の戦士レインボーマン』ですが、それとはまったく別物です。)

(2012.04.13)

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