141冊目
『窓ぎわのトットちゃん』
『窓ぎわのトットちゃん』
著者:黒柳徹子
発行年月日:1981/03/05
小学生の頃、いじめられたことがある。とはいっても深刻なものではないのですが、普段は嫌なことは寝たらすぐ忘れる私が、いまだに記憶に残っているということは、それなりにショックを受けていたのかもしれない。
当時、ドッジボールが大流行していて(『ドッジ弾平』というアニメが人気だった)、休み時間にクラスメイトとやっているとき、私一人だけが標的になったのだ。ドッジボールのクラブに入っている子なんかもいたから、小学生と言えど、ものすごい速さの球がどんどん飛んできて、「死にそう(大げさですが当時はたしかにそう感じたのです)」な思いをした。「ばーか」などと直接言われればわかりやすいものの、みんなが示し合わせたように、無言でそんな球を投げてくるものだから、それはそれは怖かった。
しばらくしたら自然に元に戻ったのですが、なにが原因だったのかはいまだにわからない。なにをもっていじめというのかは知らないけれど、受けた本人が不快に感じたらセクハラというらしいので、同様に考えれば、あれもいじめと言っていいのだと思う。
しかし、子どもというのは残酷だ。
私がいじめのターゲットになったのはその一度きりだったが、学校では数々のいじめが繰り広げられていた。
2日連続で同じ洋服を着ていた、とか、髪型がきのこみたい、とか、名前がヘン、などという、いま思えば笑ってしまうような理由がほとんど。「みんなと同じ」ということが、いじめられないための必要条件。私も、クラスメイトの話題についていくために、何が面白いのかちっともわからないお笑い番組を、親に頼んで必死に観ていたこともあった。で、私がこの『窓際のトットちゃん』を読んだのは、たしか小学校5〜6年生の頃。当時は、トットちゃんがあの黒柳徹子さんだということは知らずに読み始めた。
「こんな子が同じクラスにいたら、たぶん仲良くなれないだろうなぁ……」というのが、はじめにトットちゃんに抱いた印象だった。
でも、なぜかその存在が気になる。駅の改札で切符を回収する駅員を見て「切符屋さんになる!」と言いだしたり、チンドン屋さんを教室に呼び込むために、授業中ずっと窓の側に立っていたり……。思ったことはすぐ口に出し、面白そうと思ったことはとにかくやってみるというトットちゃんの自由奔放さがうらやましかったのかもしれない。
どんどん読み進めた。そして、読み終わる頃には、トットちゃんが大好きになっていた。
トットちゃんがもし別の学校に通い続けていたら、いじめの対象になっていたかもしれない。のびのびと成長していけたのは、ユニークな教育方針のトモエ学園、そして校長の小林宗作先生がいたからこそだとは思う。そんなトモエ学園はもうないので、その教育を受けることはできないけれど、この本を読めば「人と同じじゃなくていいんだ」ということを教えてくれる。初めて読んだとき、なんだかほっとしたのを覚えている。人と違うということが理由でいじめが起きていたことが、なんとくだらないことだったか。個性があるって面白い、むしろいいことなんだ、と。
改めて読み返してみても、その面白さは変わらなかった。大人にもお勧めしたい。人からどう見られているかを気にすることがばからしく思えてきて、好きなことを好きにやればいいか、と、気持ちがちょっと楽になるはずです。
(2012.04.13)