139冊目
ヤンマガKC『空手小公子 小日向海流』
ヤンマガKC
『空手小公子 小日向海流』
(1)〜(47)以下続巻
著者:馬場康誌
発行年月日:2000/07/06〜2012/02/06 刊行中
学生時代、自分なりに一生懸命、空手に打ち込んでいた時期があった。
道場通いは週に6回、返事はもちろん「押忍」。一日5度の食事で体重は10キロ以上増え、たくさんのTシャツやジーンズがゴミ箱行きになった。毎晩、風呂上がりに鏡の前に裸で立ち、モヤシっ子だった高校時代を思いながらニヤニヤしたりして…イタさも含めて、たぶん充実していた。
しかし、空手にのめり込み、稽古に時間を割く姿を人に見せるほどに、私は周囲から「ある誤解」を受けるようになっていた。
それは、「伝統派」と思われること。全国にごまんとある空手の流派は大きく二つに分類される。一つは、型稽古などを重んじる「伝統派」、もう一つは直接打撃が前提となる「フルコンタクト」。いわゆる「空手っぽい」のは前者の方だと思うが、私が籍を置いていた流派は顔面打撃ありのフルコンタクト系だった。「正拳突き」などとは言わずあくまで「ストレート」。何故か投げ技や寝技も認められる、武道というよりは総合格闘技に近いもので、驚くべきことに、状況によっては金的攻撃すら許されていたのだ(!)。
そんな環境に身を置いていたから、『空手小公子 小日向海流』には、たまらなくシンパシーを感じた。何しろ、主人公・海流が出会う「鏑木流」は肘打ち・顔面攻撃が認められた過激なフルコンタクト。いつもの練習が漫画になってるような感覚で、主人公に大きな影響を与えるケンカ好きの先輩・私がいつもボコボコにされていた先輩にそっくりだった。ちなみにその先輩も“海流”を読んでいたが、怖くて言えなかった。
“海流”の試合シーンは巻を追うごとにリアリティを増していく。「ハイキックを当てるためにローキックを連発して相手の守備意識を下に持っていく」などといった、経験者には「あるある」な場面や、格闘技界特有の人間関係における緊張感が丁寧に描かれる。意外に合コンとか行っちゃうあたりも「わかっている」感じがする。
現実に則した、説得力ある場面描写。それだけでも充分に面白い。でも、私にとっての“海流”の一番の魅力は、実は別のところにある。それは「夢の見せ方」だ。
物語が進むにつれ、主人公達は他流試合に挑むようになる。その舞台はかつての「K‐1」を連想させる、華やかな格闘技イベントだったりする。
私がこの作品を読み始めた2000年代は、プロ格闘技の最盛期だった。当時、格闘技に携わる人間なら誰でも、プロのリングに立つ自分の姿を夢想していたはずだ。みんな、ミルコ・クロコップや魔裟斗を見て「その気になって」いた。そして、“海流”において、ステップアップしていく主人公の様子は、そんな妄想をいい意味で深めてくれた。変な言い方だけど、“海流”は夢の見せ方がリアルだったのだ。
“海流”を読んで妄想を加速させた学生時代から10年弱が経過した。さすがに総合格闘技はしんどくて、今はキックボクシングのジムに細々と通っているが、酒に蝕まれた身体は緩み、年々鏡の前に立つのを避けるようになっている。
(2012.04.01)