133冊目
講談社文庫『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』(上)(下)
講談社文庫
『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』
(上)(下)
著者:白石一文
発行年月日:2011/12/15
3年くらい前、この作品の原稿を読んだときの驚きは、忘れられません。また、出版後、賛否両論という言葉がこれほどふさわしい作品はないというほど、両極端の評価を受けました。いったいどこが驚きで、なにゆえ賛否両論となったのか、というと、「こんなの小説でアリ?」という、その造り、にあります。
物語は、主人公の週刊誌編集長が、政界汚職や社内の権力抗争など、いろんな意味での暴力的な事件に巻き込まれ、また己の癌も発覚し、死に直面したときにはじめて新しい生の意味を獲得する、というものです。どちらというと、通俗的な物語なのです。なにせ、冒頭なんて、いきなり、編集長の「利権」にものをいわせて、主人公がグラビアアイドルとセックスをする、という、週刊現代やフライデーの編集長が苦笑するような(?)場面から始まるのですから。
そこらへんは、ストーリーテラーとしての腕も冴えて、ぐいぐい読まされるのですが、まったく一筋縄ではいきません。
実は、この小説が特殊なのは、物語の過程で、主人公は、あらゆる思いつく限りの書物や文献を読み、「己の存在の意味」というようなことを自分に問いかけていくのですが、その主人公が読んだり知ったりした文献やデータが、そっくりそのまま「引用」として大胆かつ唐突に挿入されていきます。
経済学者のフリードマン、クルーグマン。マザーテレサ、宇宙飛行士(立花隆さんの『宇宙からの帰還』)、堤未香さんの『貧困大陸アメリカ』、民主党の岡田克也氏の著書、しまいには作者不明の詩。
悩める週刊誌編集長が「乱読」するその過程を、読者は一緒に経験して、ある結論へと導かれていく、という展開です。その引用の頻度や長さが常識破りで、ときに10ページ以上、読者は、主人公と一緒に文献を読み、体験することになるのです。
もともと講談社の創業100周年記念「書き下ろし100冊」の一作として出版したものなのですが、「100年後も残る小説を書いてください」というわれわれのお願いに、白石さん自身が「なにがしかの答え」を出そうと全力を注いで書いてくださった小説です。
すごいと興奮して感想を述べてくれる人、「私は20ページ以上どうしても読めなかった」という人。こんなに分かれたのは、やはり「こんな小説を読んだことがなかった」ということなのでしょう。
この作品はやがて「第22回山本周五郎賞」を受賞。長く読まれ続けるロングセラーとなっています。
(2012.03.15)