講談社100周年記念企画 この1冊!:月刊マガジンKC『capeta(26)』

講談社100周年記念企画「この1冊!」

 

130冊目

月刊マガジンKC『capeta (26)』

曽田正人

笠原大希
校閲第三部 30歳 男

モータースポーツの瞬間のために

書籍表紙

月刊マガジンKC
『capeta (26)』
著者:曽田正人
発行年月日:2011/11/17

 モータースポーツを見るのが何よりの趣味だというような話をすると、ときどきクルマがおなじところを回っているだけの何がおもしろいのかと言われることがあって、そのたびにレーシングカーがいかにスピードという機能の追求に明け暮れているのかとか、たった0.1秒を短縮するために惜しみなく最先端テクノロジーが注ぎこまれているのだとか、真に速いF1マシンが全開で高速コーナーに飛びこんでいく瞬間の切れ味がどれほど清冷なのかとか、あるいは2台のマシンがトップスピードからのハードブレーキングでポジションを奪い合う瞬間がいかに熱を伴うものなのかといったことを話してみたりします。たいていの人が経験しているようにこの手の趣味の語りが他人に伝わることなどめったにないわけですが、さして気にしません。『capeta』を読んでと付け加えればいいだけのことです。

 モータースポーツは美しい競技です。レーシングカーの機能美や、そこに携わる人々が作るパドックの華やかな雰囲気はもちろんですが、わたしはなにより、暴力的なまでに速いマシンをドライバーが制御しきってみせる一瞬にこそ美を感じます。サーキットにはマシンという純然たる物体とドライバーの意思が融合した瞬間に発せられる美しさがたしかに存在します。それはレース中、1/100、1/1000秒のあわいに何度も現れては消え、消えては現れます。刹那に失われてしまうその瞬間を捕まえつづけることこそ、きっと「モータースポーツを見る」ことの醍醐味なのです。紹介する『capeta』にはそんなモータースポーツの魅力が詰まっています。

 正直なところ、『capeta』についてわたしが特別に語れることは皆無です。わたしは校閲局の社員ですが校正を担当したことはないし、制作に関わる人と社内で会ったことさえありません。その意味では完全にたんなる一読者です。でも、読者としてページを繰って、魅力を記すことくらいはできるかもしれません。

 26巻を開いてみます。全日本F3選手権を戦っているさなかの主人公の平勝平太=カペタは、2番手から戦略的に前を窺い、ついにファイナルラップのシケインでトップ車輌のインサイドに飛びこみました。時間にして数秒、コミックでもわずか数コマの出来事です。しかしほんの一瞬、このたった一度の深い深いブレーキングに、モータースポーツのすべてが凝縮されています。ペダルとステアリングを通して発せられたドライバーの意思にマシンが呼応し、大量の運動エネルギーを熱エネルギーに変換して放出しながらぴたりと止まっていく。その熱量にわれわれは巻きこまれるのです。『capeta』には、モータースポーツを形成する熱量があらゆるコマに横溢しています。

 さて少しばかり「伝わらない趣味の話」をしますと、華やかな印象とは裏腹に、世界の、そして日本のモータースポーツは苦境を迎えています。2011年にはアメリカで開催されているインディカー・シリーズでダン・ウェルドンが、また2輪最高峰のMotoGPでマルコ・シモンチェリが、それぞれ決勝レース中のアクシデントで命を落としました。モータースポーツにとって悲しい出来事でした。何重にも安全策を張り巡らせている最高レベルのカテゴリーでさえいまだ取り返しのつかない事故が起こりうるという現実を突きつけられたのです。

 サーキットを取り巻く環境も明るいものとはいえなくなっています。レースには非常に多額のお金がかかります。作中カペタやライバルの源奈臣が経済的な問題によって立場を失いかける場面に代表されるように、世界を覆う不況はレース界にも暗い影を落とし、多くのレーシングチームが規模を縮小したり活動を取りやめたりしています。日本も例外ではありません。世界規模のメーカーに支えられてきた自動車大国のモータースポーツは、その自動車の販売不振に伴って危機にさらされています。日本でとくにスポットの当たるレースはたぶんF1ですが、近年では最も広告効果が見込めるそのF1においてすら日本との結びつきは急激に心細くなっています。ホンダ、トヨタ、ブリヂストン……みな撤退を余儀なくされ、もはや日本とF1を直接繋ぐのは、唯一のドライバーである小林可夢偉と、何人かのメカニックと、鈴鹿サーキットしかありません。

 作中のカペタはいま全日本F3でチャンピオンを懸けて走っていますが、現実の世界では、本流のヨーロッパから地理的に隔絶し、ジャパンマネーという武器もF1参戦チームも失った日本のF3からF1へ続く道はほとんど閉ざされてしまっています。日本人の小林にとってさえ、F1へ辿りつく道の途上に日本はほとんど存在しませんでした。現実にカペタがいたら、この才能ある若者の将来はどうなるのだろうと、そればかり心配してしまうことでしょう。F1がレースのすべてではないとはいえ、国内レースの運営もけして楽観できない状況が続いています。残念なことですが、日本のモータースポーツの現状はそうなのです。

 でも、だからこそ、と思います。だからこそ、『capeta』に見るカペタの走りに、モータースポーツのファンとして希望を見ます。カペタが発する一瞬の躍動は、あの一撃のハードブレーキングは、それだけでたしかに現実を突き動かします。

『capeta』を読んだ人がモータースポーツに入り込んで、またより深く『capeta』を味わうようになってほしい。それがめぐりめぐってふたたびモータースポーツの発展に寄与してほしい。『capeta』の情熱はその何台を可能にすると信じます。平勝平太が日本のモータースポーツの、このとても美しい競技の未来を照らす標になることを願わずにはいられないのです。

(2012.03.01)

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