講談社100周年記念企画 この1冊!:『台所のおと』

講談社100周年記念企画「この1冊!」

 

123冊目

『台所のおと』

幸田文

鶴見直子
書籍第二販売部 50代 女

お正月の朝のような読後感

書籍表紙

『台所のおと』
著者:幸田文
発行年月日:1992/09/28

 幸田文に出会ったきっかけは、母親がふともらした「生まれた女の子に『文』という名前をつけようと思っていた」というひとことだった。当時まだ中学生ぐらいだった私は、幸田文というのは明治の文豪・幸田露伴の娘であるということと、(母はフミと書いてアヤと読む人のファンなのだ)というほどの認識を意識の下に沈めた。

 年表を繰ると、幸田文は、昭和22年(1947年)の露伴の死去に伴って43歳で文章を書き始め、「文豪の娘」以上の高評を得てその後15年ほど精力的に作品を発表している。昭和33年(1956年)には『流れる』が成瀬巳喜男によって映画(当時の芸達者な女優が集った佳作)化されているから、年齢的にいって母が同時代に一連の作品を読み、見ていた可能性は高い。

 その幸田文と再会したのは入社して10年過ぎた平成4年(1992年)、講談社から<新刊>として刊行されたハードカバーの『台所のおと』だった。

 母のひとことから20年近くたっているのに、そのシンプルで気品のある装丁を見たとたん、鮮やかに記憶がよみがえってきた。「この人だったのか」と気軽な気持ちで読み始めて、イヤハヤ驚いた。きりりとした佇まい、言葉遣いと文章の冴え、何よりも背筋の伸びた美意識とそれを表現しうる力量に、まいった。明治の匂いをまとっている人なのに、でもまったく古びることのない、並外れた感性を目の前に広げてくれる作品集だった。

 この前後、幸田文再燃ともいうべきブームが起きて、『木』『崩れ』『きもの』など続々と<新刊>が刊行されることになるのだが、時代のズレを感じないだろうか。林芙美子や太宰治と同時代・1904年生まれの作家である。それがなぜ1990年代に新刊?

 そう、幸田文は1990年に86歳で亡くなったのだった。生前、作品の多くは新聞・雑誌に一回発表しただけで、本人の意思かどうか、その多くは著作の形を取らなかったそうである。それが50年近い時を経て、遺作ながらも新刊というかたちで、また読書界を感嘆させたのだから、すごいとしかいいようがない。

 その作品の多くが自伝的な内容のもので、読み進めるにつれて、幸田文が清酒問屋に嫁ぎ、一女をもうけたのち、離婚して父のもとに帰ってきたことがわかる。私に「文」という名をつけようとした母もまた、酒屋の嫁であった。日々のどんな気持ちを重ねて幸田文を読んでいたのか、今はもう聞くこともかなわない。

 以来折にふれてこの本を読み返す。お正月の朝静まり返った空気の中で、胸がしんとするような読後感を味わうために。

(2012.02.01)

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