講談社100周年記念企画 この1冊!:講談社文庫『虚無への供物』

講談社100周年記念企画「この1冊!」

 

105冊目

講談社文庫『虚無への供物』

中井英夫

井和丸剛
ヤングマガジン編集部 40代 男

名探偵って大変だ、と思ったでござるの巻

書籍表紙

講談社文庫
『虚無への供物』
著者:中井英夫
発行年月日:1974/03/15

 名探偵になろうと思っていた。小学生のときである。

 明智小五郎が活躍するシリーズ、シャーロック・ホームズが推理するシリーズ。たくさんの子ども向きの探偵小説本を読みあさった。
 本編に登場する主人公たちは、人殺しがひとわたり終わった後、関係者全員を集め、言うのである。「さて」。
 なんだかかっこいいじゃないですか。

 そうして、ちょいちょい大人向きの本にも手を出し始め、春陽堂の江戸川乱歩なんかも読んじゃって、そのエロさに体の一部を熱くする体験などもした。(赤面したってことです。念のため)

 たどり着いたのがこの本である。今ではこのくらいの分厚い文庫は珍しくもなんともないが、(殺しに使えそうな本が沢山だ)当時はかなり珍しかった。講談社文庫は、いまもそうだが、紙の色がほかの文庫よりクリーム色っぽく異質である。ページをめくると、他社の文庫より高級な感じがした。一流の感じ。お値段も一流。

 表紙がまた妖しい。薔薇の花を雁首にした妖しげな人物(?)が、まんどりん(?)をもち、市松模様のカーペット(?)の上にたたずむ。天使(?)がふちを飾る。ね、あやしいでしょ。もうよっつも(?)を使ってしまった。

 これは今まで読んでいた推理小説とは違った。読み進めば読み進むほど、夢の中にいるようで、そもそも殺人が本当に起こったのかすら判然としなくなる。それでいて、密室殺人だの、一人二役だの、当時の僕チンをわくわくさせた推理小説的しかけもたくさん入っているのだった。部屋を上から見下ろした、一焦点透視図法の図版もたくさん入っており、文庫でありながら手のかかった凝った作りに圧倒された。

 赤、青、黄色の三原色を咲かせる花はこの世にない。目黒不動、目赤不動、目白不動なんていう不動尊の配置が、なにやら鍵を握っているらしいとか、うんちくもたくさんはいっていて、とにかくどきどきしながら読んだ。衒学的、(ペダンティックってルビが振ってあるのだね)なんて言葉もこの本で覚えた。
 そうして、こんなに教養がいるんなら、俺には名探偵は無理だなと哀れ少年は夢をあきらめたのであった。なんだかめんどくさくなっちゃったのだよ。しかも真相は、??が○○したから△△が□□だったなんて。こりゃわしにはわかるはずないわな。である。

 某社により、この本の初版復刻版が出されているそうだ。箱に入った本を最近あんまり見ないが、立派な箱に入っており、ハトロン紙やらで包まれており、いやがうえにも高級感、隠微さが漂う。しおりの紐もきっと素敵な紫色であろう。100部限定65000円! 暗い納戸の奥で、カビの匂いを感じながら、パリパリと箱から取り出し、一ページづつ、読み終わるのが惜しい感じで読むのだ。指先の触感、本の匂いを感じながら。どんなに頑張っても電子書籍には真似できまい。
 いつか買ってやろうと思うが、値段が値段だけに奥さんにばれないようにせねばならず、したがってこんなところに書くわけにはいかない。

 本は手元において何度も読むことで、我々の人生を豊かにする。あまりにも早い出会いが、お互いにとって不幸であることもあり、結果的に幸せを呼ぶこともある。

 この本はたぶん、小学生の読む本ではない。が、この年令で読み返すと新発見もある。著者について知り、作品が書かれた背景を知るにつれ、”ああそういうことか”という新発見をする。スペクタクルである。ガキの頃に読んでおいてよかった。

 悪かったのは、オレが探偵にならなかったこと。密室殺人やら入れ替わり殺人やらの怪犯罪が摘発を免れているのではないかと心配だ。ふふふ。

(2011.12.01)

講談社の本はこちら

講談社BOOK倶楽部 野間清治と創業物語