講談社100周年記念企画 この1冊!:「週刊現代 1988年2月20日号」

講談社100周年記念企画「この1冊!」

 

103冊目

「週刊現代 1988年2月20日号」

 

浜野純夫
編集総務部 51歳 男

角界のトップ取材から学んだこと

書籍表紙

「週刊現代
1988年2月20日号」
発行年月日:1988/02/20

 私の編集者生活は相撲取材で始まったと言ってもいい。新入社員研修で、2日間、社外に出かけて取材する機会があった。テーマはなんでもいい。「新入社員です。よろしくお願い致します」との挨拶文が入った名刺を持って、小さい頃から好きだった相撲部屋に押しかけた。立浪部屋、片男波部屋など3つほどの部屋に行って、その年に角界入りした新人にインタビューさせてもらう。「目標とする力士は誰ですか?」との質問に、立浪部屋の新人2人は「北尾さんです」と口を揃えた。その時点で北尾の番付は十両、将来を有望視される存在だったが、恥ずかしながら私は名前すら知らなかった。

 それから3年。私は「週刊現代」の編集者4年目。北尾は横綱に昇進し双羽黒として、同じ横綱の千代の富士、北勝海とともに角界を引っ張っていく。ところが、立浪親方とのトラブルで脱走事件を起こし、廃業してしまった。その後、双羽黒は「週刊現代」に登場して、ことの真相を語っていた。残念ながら、その担当は私ではない。相撲好きの私としては何とかしてページを作りたい。何か新しい切り口はないか。

 思いついたのは、時の日本相撲協会理事長・春日野清隆氏にインタビューをすることだった。春日野氏といえば、現役時代は横綱・栃錦として初代若乃花(のちの二子山理事長)ともに「栃若時代」を築いた功労者。理事長として14年間君臨し、現在の両国国技館を無借金で建てた名経営者としても名高い。しかし、双羽黒事件では角界のトップとして事態を収拾できず、世間の批判が集中していた。春日野氏が、この事件についてメディアに登場して語ったことはない。もちろん、一般週刊誌に登場したこともない。うまくいけば、スクープになるかも知れない。

 当時、相撲協会の取材は、国技館の事務局にいる女性を通すことが前提だった。ところが、いろいろな企画を持ち込んでも、その女性のすげない「お受けできません」の一言で断られることがしばしば。現役横綱の廃業という不祥事の渦中に、そのルートでインタビューを申し込んでも断られるのは目に見えている。どうしたものか。

 こうなったら春日野氏に直談判するしかない。朝稽古中の春日野部屋を直撃する。体重100キロ以上の男たちの中に入っていくのは、正直言って怖い。土俵にたたきつけられたら痛いだろうなあ。弱気の虫が首をもたげる。勇気をふるって申し込んだところ、春日野氏に、

「オレたちは今、仕事中だぞ。昼間に国技館に来い!」

 と突っ返される。言いつけを守って翌日の昼間、国技館を訪ねる。

「今は理事長として相撲協会から給料をもらっているんだ、話せるわけはないだろう。理事長を辞めれば話せるから、その時になったらまた来い」

 なんだ、体よく断るつもりか。ダメもとで2ヵ月後の2月2日、2日前に理事長を退任し、相撲博物館館長代理になっていた春日野氏を再び訪ねる。開口一番、

「お前たち週刊誌はウソばかり書くから信用していないんだ。だから、本当はインタビューも受けたくないんだ」 と先制パンチを食らう。ここは下手(したて)に出てもインタビューを成功させないと、ページが空いてしまう。鬼のような編集長の「バカヤロー!」という罵声が耳にこだまする。ここまできてあきらめるわけにはいかない。「まあ、まあ」と取りなしながら、質問していく。とはいえ、怖いばかりの人物ではない。相撲博物館館長代理のイスの座り心地を聞くと、「今座ったばかりじゃないか(座り心地なんて感じるほど時間は経っていないだろう)」と茶目っ気ある受け応えもしてくれる。ほっ、なんとかインタビューだけはできそうだ。理事長職を終えての感想など無難な質問から切り出しつつ、肝心の双羽黒事件に切り込む。

「あの一件じゃ、このオレが一番の被害者なんだ。みんな(マスコミ)が『廃業処分にした』と書いたもんだから、抗議の電話はかかるわ、手紙は来るわ、来るわ。来た手紙でメシが炊けるよ(笑)。すっかり悪玉の親分になっちゃったよ、このオレが」

 と、スポーツ新聞も聞き出せなかった本音を語ってくれた。よし、これでタイトルはもらったし、記事は成立した(「週刊現代」昭和63年2月20日号。掲載時のタイトルは『双羽黒事件はオレが一番被害者だ、メシが炊けるほど抗議文きたゾ』)。これで編集長に怒鳴られなくてすむ。

 双羽黒の元付け人が発言していた八百長問題も、聞かないで帰るわけにはいかない。もう一度、勇気をふるう。

「ふざけんじゃない、冗談じゃないよ。そんなことしたら、土俵のたまりで見ている人たちが騒ぎ出すだろ。オレが生まれる前から、50年も60年も相撲を見ている人がたくさんいるんだ。そんな人の前で変な相撲がとれますか。できっこないよ」

 と、強い口調で怒って見せた。春日野氏が今も健在だったら、20人以上もの親方・力士が引退勧告された2011年の八百長事件にどんな感想を述べるのか、聞いてみたいぐらいだ。

 帰りがけ、「春日野さんは『お前たち週刊誌はウソばかり書く』とおっしゃいましたが、それは違いますよ。週刊誌は明らかにウソと分かっているものを記事にすることはしません。それだけは覚えておいてください」と抗議した。すると、春日野氏はニッコリ笑って、

「わかった。キミを信用しよう」

 と握手を求めてきた。その手は、張り倒されたらケガどころではすまないほどの分厚さだった。無事に帰れて良かったー。

 角界のトップと対峙できたことで引っ込み思案の性格が少しばかり直り(「お前のどこが引っ込み思案なのか?」という、うるさい外野の声はこの際聞こえぬふりをします)、少々の度胸がつき、困ったときは当事者に直接会うことで活路は開けると学べた貴重な経験となった。

(2011.11.15)

講談社の本はこちら

講談社BOOK倶楽部 野間清治と創業物語