講談社100周年記念企画 この1冊!:少年マガジンKC『空手バカ一代』

講談社100周年記念企画「この1冊!」

 

98冊目

少年マガジンKC『空手バカ一代』(1)〜(29)

原作:梶原一騎/漫画:つのだじろう

林田慎一郎
月刊少年マガジン編集部 49歳 男

力なき正義は無能なり、正義なき力も無能なり。

書籍表紙

少年マガジンKC
『空手バカ一代』
(1)〜(29)
原作:梶原一騎
漫画:つのだじろう
 影丸譲也
発行年月日:1972/10/10〜1978/01/30

「お客さん、空手をやってらっしゃいますね」と吉祥寺の鮨屋で、カウンター越しに話しかけられたことがある。
 よく見ればえらく怖い顔の職人さんだ。下手な見栄を張って「じゃあちょっと表で」ということになっても困る。
「いや、全然やったことないんですよ、はは」

 そう、空手などやったこともない。そして自慢ではないがケンカは弱い。ここ30年以上、したこともないので弱いかどうかすらわからない。
 ただし、カワラ割りに熱中したことはある。
 失敗して血が噴き出したことも何度もあるし、ペロンと手の皮ごと剥けたこともある。
 そもそもは「週刊少年マガジン」の巻末に掲載されていた大山倍達総裁の人生相談、『輝く日本の星となれ』を読んで、「折に触れて硬いものを叩く」クセが付いたのだ。
 そのため、中指のナックルが角質化して、いわゆる「拳ダコ」状態になっていて、それを見咎められたのだと思う。今でも酔って「硬いもの」を叩き、腫れた手で朝を迎えた……なんてことは…ない。少なくとも最近はない(涙)。

 昭和40年代後期、「週刊少年マガジン」に連載された『空手バカ一代』は、恐らくは僕のようなバカ者(失礼)を大量に生み出した。
 むろん、僕より勇気のある人は、どの流派であれ空手道場の門をくぐったはずだし、今の格闘技界や格闘メディアで、この作品の影響を受けていない人は少ないはず。

 そして、言いにくいが『トンデモ本』としての論評もずいぶん見かける。
 実在しない選手、達人が続々登場する。
 人間同士ではまずもって掛からない技が披露される。
 その他、その他、その他。突っ込み所が満載であることはよくよく知っている。
 これをもって、取るに足らない作品と語る人も少なくない。

 しかし、人を行動に駆り立てるという点において、これほどの作品を僕は知らない。
 少年漫画の役割は、読者を行動に導き、生きることの意味、素晴らしさを感じさせること。
 そういう意味では、少年漫画の代表作として、長く読まれるべき作品だと信じる。

 本編だけでなくアニメにも熱狂し(今ではアニメ化は考えられない……)、旧・3局企画部で出版された写真集や単行本や解説書を次々と買い求め(売上に貢献してた!)、こつこつと拳を鍛えるも貫手の練習は痛いのでやめ、講談社に入社した後はパーティーで大山倍達氏の姿に胸をときめかせ、芦原英幸氏に入門を勧められ、極真関係の特集雑誌はすべて買い、暴露本が出ればそれも買い、担当したギャグ漫画のタイトルに半ば無理やり「バカ一代」の文言を借用して付けさせてもらい…今に至っている。

 漫画としての存在感は、「牛殺し」「山籠り」「片眉を剃り落とす」「空手ダンス」「百人組手」「―――(談)」
 といったモチーフや表現が、その後の漫画界にいかに影響を与えたかでも感じられる。
 小林まこと先生の『1・2の三四郎』初め、この作品を知らないと面白さが減じる作品は枚挙に暇がない。梶原一騎先生作品でベストを選ぶとおそらくは『あしたのジョー』が最高得票ということになろうし、『巨人の星』『愛と誠』などに共通するラストの盛り上がり感には欠けるが、それでもなお、この作品は必読であると信じる。編集同士の打ち合わせアイテムとしても必須(笑)。

 帰省すれば必ず、弟の書棚に並ぶ『空手バカ一代』を読み返すのが慣わしとなっている。
つのだじろう氏、影丸譲也氏描くところのマス・オーヤマの禁欲的な魅力は、今も変わらず僕の胸をときめかせ、あっという間に29巻を読み終える。

 それにしても今、「極真」って名のつく団体はいくつあるんだろう…。

(2011.11.01)

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