講談社100周年記念企画 この1冊!:『ぐうたら交友録』

講談社100周年記念企画「この1冊!」

 

97冊目

『ぐうたら交友録』

遠藤周作

藤田政則
コミック宣伝部 48歳 男

昭和48年の思い出

書籍表紙

『ぐうたら交友録』
著者:遠藤周作
発行年月日:1973/01/20

 小学校4年生の時、父親が長期入院し、毎週末、母と幼稚園児の弟と一緒に入院先の病院に通う日々が約1年間続いた。

 母親がたまった洗濯物を取り替えたり、父親の身の回りの世話をしている間、私と弟は買ってもらった雑誌を読み、それに飽きたら病院内を探検したりして時間を潰していたのだが、あらかた本も読んでしまい、いよいよ退屈していた時にふと目に付いたのが、父親が病室で読み終えた一連の「ぐうたら」シリーズ単行本。

 当時遠藤周作氏といえば、インスタントコーヒーのCMに出ている「違いが分かる」「孤狸庵先生と呼ばれている作家」くらいの認識しかない。が、和田誠氏によるユーモラスな表紙に誘われてつい手にとってみた。思いのほか読みやすそうだ。

 はじめに読んだのは遠藤周作氏が作家仲間・先輩との交友エピソードを綴ったエッセイ集「ぐうたら交友録」。なぜ最初にこの本だったかというと、第1章の交友相手が当時の小学生にもお馴染みの「どくとるマンボウ」こと北杜夫氏だったから。「『船乗りクプクプの冒険』の先生はどんなヒトなんだろう」と読んでみたら、酔っ払って病院の階段から転げ落ちる、人の別荘に来てウイスキーを飲み倒す、入院中に貰った見舞い品を手帖に書き込んでニタニタ笑っている、など小学生の夢を粉砕するようなエピソードのオンパレード。しかし、決して嫌味な感じは無く、「コノオトナタチハ、ナンテコドモジミテイルノダ」と児童文学には無い楽しさを感じ、夢中でページをめくった。さすがにそれらの方々の背景も知らぬ小学生には理解できない部分もありはしたが、のんびりとしたユーモア溢れる文章のせいで苦も無く読み進むことが出来た。

 読み終わる頃には、三浦朱門、梅崎春生、安岡章太郎、吉行淳之介、原民喜、阿川弘之など見たことも、もちろん読んだことも無い作家の名を諳んじ、あまつさえそれらの作家について「あの作家は、相当知ったかぶりだよ」とか「すぐ怒りまくる人みたいだよ」などエッセイからの偏った情報のみで文芸作家評をする、相当タチの悪い小学校4年生が出来上がった。そもそもそんな話、当時誰に語ったのだろう?言われた方(当然同級生)もさっぱり訳が分からなかったに違いない。

 その後、「ぐうたら好奇学」「ぐうたら人間学」「ぐうたら愛情学」と次々読破していったが、氏の文芸作品に手を出すことは無かった。

 父親不在の、ちょっぴり寂しい日々を慰めてくれた「ぐうたら」シリーズが大好きだった。また、「自分の父親もこういうオモシロイ本を読むのか」となんとなく親近感を感じたりもした。

 高校生の時、国語の教師に「好きな作家」を問われ「遠藤周作です」と即答したくせに、「沈黙」も「海と毒薬」も「わたしが・棄てた・女」も未読。自分にとっての遠藤周作作品とは長い間「ぐうたらシリーズ」であり「おバカさん」であり「大変だァ」だった。

 そんな自分が講談社に入社し文庫販売部に在籍中、遠藤氏が逝去された。全国の書店さんから「深い河」を始めとする氏の作品の注文が殺到。担当だった自分は終日注文対応、重版検討に追われた。これも何かの縁かしら、と心の中で氏のご冥福を祈るとともに、「あー、いわゆる、代表的文芸作品も良いけど、どこかで『ぐうたら』も平積みされないかなぁ」と秘かに思いつつ作業したのでした。

追記
 この原稿を書くにあたり、今一度読み直してみようと思い電子書籍版を購入(各章毎のイラストが収録されていないのは残念)。驚いたのはかなり細かいところまで覚えているということ。それだけ幼い脳に与えた影響は大きかったのか? それはそうだ、エッセイとは言っても日本が誇る文学者の文章なのだもの。よく考えてみればなんと贅沢な経験! 遠藤作品に接したことがない方、もしとっつきにくそうと感じているのであれば、是非この「ぐうたら」シリーズを手にされることをおススメいたします。

(2011.11.01)

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