94冊目
勝海舟全集2『書簡と建言』
勝海舟全集2
『書簡と建言』
著者:勝海舟
発行年月日:1982/02/17
言葉は誤解される、もちろん書物も誤読される、受け手のはばに応じて、また受け手の権利として。私がいつも誤読し気ままに解釈してきた言葉は…。
「従故、当路者古今一世之人物にあらざれば、衆賢之批評に当る者あらず。不計も拙老先年之行為に於て御議論数百言御指摘、実に慚愧に不堪ず、御深志忝存候。(原文改行)行蔵は我に存す。毀誉は他人之主張、我に与らず我に関せずと存候、各人江御示し御座候とも毛頭異存無之候」(『書簡と建言』「勝海舟全集」第2巻242ページ)
幕末の三舟の一人勝海舟(ちなみにほかの二人は鉄舟山岡鉄太郎、泥舟高橋謙三郎)の書簡集に収録されているものだ。福澤諭吉が榎本武揚や海舟たち旧幕臣たちが明治新政府へ出仕し活躍していることに対して(いわば転向ということだろう)揶揄、批判した『痩我慢之説』への感想として海舟が福澤個人に送ったものだ。海舟の著名な著作『氷川清話』にも類したことが語られており、著作としては『氷川清話』の方が多くの人物談、時事談もあり、さまざまな智見に満ちており読み継がれていくおもしろさがあるとは思うけれど、初出にこだわってみた。
これは政治家の結果責任論理と批評家への論難に思えるが、そんなものではないように思う。「要するに、処世の秘訣は誠の一字だ」(『氷川清話』「勝海舟全集」第21巻366ページ)「ナニ、誰を味方にしようとなどといふから、間違ふのだ。みンな、敵がいゝ」(『海舟語録』「勝海舟全集」第20巻215ページ)という男がそんな政治家の論理で語っているようには私には思えない。<行蔵の我>と<他人之主張の我>を同等に同価値として同時に受け止め引き受けようとしている決断・覚悟と思えてならないのだ。小難しくいえば主観性の我と間主観性の我あるいは社会的諸関係のアンサンブルとしての我といってもいいかもしれない。もちろんこんな賢しらさを海舟は「一笑に付するまでもないサ」と思うに決まっている。いつも(この海舟の言葉を初めて知ったのは高校生の頃だったろうか)大きく誤読して力づけられている。私はそれを勝手に“言い訳しない”“拒否しない”“あきらめない”の海舟三無主義と密かに名付けてさえいる。そしてこの主義には海舟が持つシニカルと紙一重のユーモアが通底音として響いている。たとえばそのユーモアとは海舟が子爵に叙爵された時に創った戯歌「今までは並のからだと思ひしが五尺に足りぬししゃくなりとは」(『海舟語録』「勝海舟全集」第20巻246ページ)に表れているようなものだ。
ともあれ海舟のこの覚悟には、資本論にも引用されたダンテの『汝が道を行け。そして他には言うにまかせよ』という言葉も共振している。あとどれくらい私の道があるかはわからないが、歩いている間はこの三無主義に少しでも近づきたいと今も思っている。
(2011.10.15)