77冊目
『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』
『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』
著者: 西尾維新
発行年月日:2002/02/05
中学校が遠いので、わたしはいつもお腹が空いている。
英作文の授業でそんな文章を書いて赤字の「?」をもらったのも、『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』とわたしが出会ったのも、15歳の夏でした。その頃わたしは中学生で、田んぼに囲まれた集合住宅から隣県の山の上の学校へ片道45キロの道のりを毎日往復していました。ただ座っているには長すぎる移動時間、いつも本を読んでいました。携帯電話やゲーム機もそれほど普及しておらず、わたしの自由になる娯楽は読書だけでした。当時、お小遣いは日々の昼食代500円。仕方なく食事を削って本を買っていました。ああ、学校が近ければ本を読まないから食事を抜くこともないのに。
学校が遠いからお腹が空くというのはわたしにとってはごく自然な理屈だったけれど、英語の先生には伝わらなかったようです。紙に滲んだ「?」を今も時折思い出します。自分の中では当然すぎる事実を他人が知らないということ、その逆も、その頃のわたしには大きなストレスでした。どうも社会性が育つのが遅い子どもだったんだな、と我ながら思います。そういう時期に読んだのが『クビキリサイクル』でした。
『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』は、いわゆる「密室ミステリ」です。孤島の屋敷に集まった人々、そこで起きる連続密室殺人事件、犯人はいったい? 語り手兼探偵役は「ぼく」こと戯言遣い。物語は謎解きを横軸、「ぼく」と友人・玖渚友との関係性を縦軸に進んでいきます。
読み終わって、安心しました。自分の認識と他人の認識が一致しないことを真摯に悲しむ人が世の中にはちゃんといるんだ、と。「ぼく」は何度も他者との認識の差異にぶつかり、迷い、そして独り言ちます。
「オーケイ。認めよう。ぼくは全然気に入らないけれど、こいつが現実であり、こいつが真実ってやつなのだろう。どうせそれは、ぼくの戯言めいた感傷に過ぎないのだろうから」
認識を一致させる努力をやめて、「ぼく」の目の前は少し明るいものになります。他人は他人だ。わかってもらえないことを押し付けることはないし、理解する努力もしなくたっていい。よし、わたしもやめよう。非社会的であることを選択した途端、わたしの世界も明るくなったように感じたことを覚えています。
『クビキリサイクル』はシリーズ化し、3年間・全9冊かけて「ぼく」の物語は終わります。閉じこもりがちだった15の少女も成長し、今は毎夜のように人と語らい飲み歩く生活を送っています。社会性なんていつかは身につくものでした。蛹の時代に共に歩いてくれる本に出会ったことは、幸いだったと思います。
(2011.08.01)