75冊目
『ちいさなちいさな王様』
『ちいさなちいさな王様』
作:アクセル・ハッケ
絵:ミヒャエル・ゾーヴァ
共訳:那須田淳/木本栄
発行年月日:1996/10/15
“しばらく前から、ほんの気まぐれに、あの小さな王様が僕の家にやってくるようになった。”
『ちいさなちいさな王様』はこんな書き出しではじまります。
朝から夜までのあいだに、仕事のストレスで身長が5センチも縮んでしまう(!)「僕」のところへ、お菓子のグミが好物の、わがままで気まぐれで、「僕」の人差し指くらいの大きさしかない「王様」こと十二月王二世がやってきては、「僕」にこの世界のあれこれについて尋ね、反対に、王様の世界の仕組みを教えてくれるという、そんなふたりのやりとりを描いた短いお話です。
南ドイツ新聞の政治部記者が本業である著者が、そのかたわらでなぜこの美しい寓話を書くにいたったか知り得ないのと同じように、ちょうど十二年前、昼休みの図書室で中学生の私がなぜこの本を手にとったのか、今となっては思い出せません。
でも、まわりの本と比べてずいぶん落ち着いた色味の、渋い装丁。真っ赤なマントを羽織った、ちいさいけれど堂々とした王様の挿絵。図書室の本特有の、よれて少しだけやぶれた表紙カバーの感じ。夢中になって読み、自分でも買い求めて枕元に置いて、まるでお守りのように何度も読み返し、ときどき泣いたことは覚えています。
今回原稿を担当するにあたって、ですから迷わずこの本を選び、ひさしぶりに会社の中にある図書室(講談社の本が全部ある!)で急いで借りて、読みはじめました。
そこですぐ、困ったことに気づきました。
この物語のどこに、自分があれほど感動したのか、すっかり分からなくなっていたのです。
正直、動揺しました。
せっかく思い入れのある本について語る場を与えられたのだから、その素晴らしさを一人でも多くの人に伝えたいのに。
何かあるだろう、自分!
というか、曲がりなりにも編集者として感性大丈夫か!
とりあえず2回読んでみましたが、「なんとなくこのあたりを気に入っていた気がする」というのを思い出すのが精一杯でした。
いったい、何がちがうというんでしょう。
なにか魔法的なものがとけたのか。
それとも私が、良くない意味での大人になってしまった……?
ただ、ひとつぼんやりと推測してみたところ、
たとえば昼休みに図書室に一人で行く、という状況のもつ意味は、
あの時と今とでは決定的に違うなあ、とは、思います。
本文中、「僕」は「王様」にこう言います。
“きっと、小さな王様が欠けていてさびしい思いをしている人が、世の中には、本当はもっとたくさんいるんだよ。ただ、そのことに気がついていないだけで”
かつて私はこの本に、間違いなく激しく救われたはずなのに、「救われた」という記憶だけあって、何から、どうやって、助けてもらったのか思い出せません。
ひとつひとつの文章をたぐってみても、もうかなわない。
おそらくはじめから、そういうふうに作られている。
なんてやさしいやり方だろう、と、それが今、この一冊について思うことです。
(2011.07.15)