講談社100周年記念企画 この1冊!:講談社文庫『限りなく透明に近いブルー』

講談社100周年記念企画「この1冊!」

 

60冊目

講談社文庫『限りなく透明に近いブルー』

村上龍

小川優子
書籍第一販売部 24歳 女

思春期を支えてくれた1冊

書籍表紙

講談社文庫
『限りなく透明に近いブルー』
著者:村上龍
発行年月日:1978/12/15

「東野圭吾・伊坂幸太郎・西尾維新」 ──恥ずかしながら、全て入社してから読んだ作家だ。この方達が活躍し始めるのは、2000年前後。ちょうど私は中学1年(1999年)だった。それから大学入学まで、親の仕事で海外を転々としていた。日本の情報はあまり入ってこないうえ、日本語の本は高いので、とりあえず親の本棚を漁る。そのため、私は所謂「同時代性」というものが全くない中で本を読んできた。結果好きな作家は、「安部公房・遠藤周作・井上靖…etc」。入社試験のときにそう答えると、面接官に「みなさんお亡くなりだねえ」と、つぶやかれた。

 よくその時点まで、新旧の概念なしで文芸書を読んできたものだなと思う。実際に書籍販売の仕事に携わるようになると、なるほど、もう安部公房や遠藤周作は新作を書けない。未来の読者がつくかどうかは、どれだけ教科書などで過去の作品を目にできるかで決まってしまうのではないか。新しい作家を発掘することが、出版社にとって肝であることを改めて認識した。だが、自分が生まれる前に書かれた本ばかりが並ぶ親の本棚の中で、唯一「自分と同じではないか?」と思うほどに「同時代性」を感じた本があった。それが村上龍の『限りなく透明に近いブルー』だった。思春期真っ只中(?)で自暴自棄中の16歳の私に大変インパクトのある1冊だった。

 自分の置かれた状況や鬱屈した心境を、文字にしてくれたと思った。当時私が住んでいたのは、夏になると気温が45度を越すインド。治安がよくないため、外国人学校は高い壁に囲われ、警備員はアメリカ兵だった。教育に厳しい学校で、一見すると優等生学校のようだったが、そうではなかった。学校内に自由がない生活の中で、唯一生徒がはじけるのは夜。世界の国力縮図のような生徒の関係に、タバコ・酒・ドラッグが加わる。一度境界を踏み越えてこそ仲間、という意識。『限りなく透明に近いブルー』に描かれている場面と近しいものが、2002年のインドには存在した。

 酒やドラッグで意識をなくすクラスメートを醒めた目で見つつも、輪の中に入っていなくてはと焦る。『限りなく透明に近いブルー』も同じだった。主人公は荒れた行為を、一枚のベールを通すように語り、まるで当事者じゃないかのように、ひどく静かで醒めている。騒音が騒音のように聞こえない文章を読むたびに、不思議と心が落ち着いた。タバコ・酒・ドラッグにおぼれた行為の描写には、全て意味が感じられなかった。

 本書に何度となく救われ「同時代性」を感じたと言うと、「え?!」と驚かれる。奥付を調べてみると発行は1978年、私が生まれる8年前だ。確かに日本で生活していたら、先に伊坂さんや東野さんの作品を読んでいただろう。だが、個々人の心境や置かれた環境に合えば、書かれた時代は関係ない。奇しくも、本書との出会いから8年後、現在の部署で村上さんの『歌うクジラ』の販売担当になる。未来の読者が、当時私が感じたような「同時代性」をこの本に感じる日が来るのだろうか。不思議な縁を感じた。

左上イラスト:『モムチャンダイエット』有酸素運動の真っ最中の私を、妹がデフォルメで描いた絵

(2011.05.13)

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