50冊目
『栄えゆく道』
『栄えゆく道』
著者:野間清治
発行年月日:1932/07/13
講談社のホームページや宣伝物などで、「おもしろくて、ためになる」という言葉をご覧になられた方もいらっしゃると思います。この言葉は、講談社の企業理念をあらわすキーワードであるわけですが、創業者である野間清治がよく使った言葉でもありました。「おもしろくて、ためになる」は、一見何の変哲もない言葉ですし、我々社員もこれについて深く考えることはほとんどないのですが、ここには彼の人生観・宗教観が込められているようです。では、そこに込められた思いとは一体何だったのでしょうか?
裸一貫から事業をおこし、雑誌王として名を馳せていた野間清治は、昭和5年から11年にかけて自身の哲学をつづった著作を次々と刊行し、講談社のベストセラーのひとつとなっていました(右上の写真は、彼の8冊の著書とその復刻抄録版)。今でいう、ユニクロの柳井さんや京セラの稲盛さんの著書がベストセラーになっているのに近い感じでしょうか。そうした著作の中で、もともと教師としてキャリアをスタートした野間清治は、教育について次のような考えを述べています。
「私の授業には、私独特の主義主張があって、一言にしていえば、人物を作ることである、人間を鍛えることである、頭を練ること、魂を打ち込むことである。一体、国語漢文の授業といえば、字句の解釈や文法にのみ力を注いで、文章の真精神を味読する教え方を、とかく閑却しがちなものである。字句を理解したり、文法に通ずるというようなことも、必要な一事ではあるが、字句よりはむしろその大義に通じ、文章の真精神を理解して、それを人格修養の糧にするということも、また重要なる一事である。私は、とくにこの後者を目標として、これに重点を置いていた」(『私の半生』より)
このように、彼は教育で最も大事なことは、人物を作ること、人格を向上させることだと考えていました。かといって、真面目くさったやり方をされては生徒もおもしろくありません。そこで彼が考案したのが、『南総里見八犬伝』を語ってきかせるということでした。少年時代に『八犬伝』に夢中になり、講談風におもしろおかしく近所の子供たちに語り聞かせていた彼が『八犬伝』の話をするとなると、「生徒が窓から首を出して、拍手をしたり、足踏みをしたり、それはそれは喜んで迎え」られたそうです。彼にとって『八犬伝』は単なる娯楽小説以上のものでした。「自分の如きは仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌の八つを、『八犬伝』によって教え込まれ、これが自分の血の中にとけこんで、自分の云為行動を律している」と述べるほど、この小説を人生の教科書にしていた彼は、娯楽小説が十分に「人格修養の糧」たりえることに気づいていました。すなわち、エンターテイメントやストーリーという形式であっても、みなが楽しみながら人格を向上させる手段になりえるということを確信していたのです。
「おもしろくて、ためになる」の「ためになる」には、実利的に役に立つという以上の意味、つまり、人びとの人格や精神の向上に資するという意味が込められていたようです。そして、人格の向上に資するものであれば、小説であろうが落語や講談であろうが、大臣や博士の演説であろうが、はたまた釈迦や孔子やキリストの言葉であろうが、何を利用しても構わないという自由なスタンスを取っていました。彼が事業を興した後も、この姿勢は一貫しており、彼の関わったあらゆるメディア(雑誌、書籍、レコード、新聞等)に、その思想が色濃く反映されていました。それが日本中に与えた教育的な効果をして、当時を代表する言論人であった徳富蘇峰に「野間さんは私設文部省だった」と言わせたほどです。
渡部昇一氏は、世界に誇れる真にユニークな日本の思想家は誰かという問いに対し、それは聖徳太子でも弘法大師でも伊藤仁斎でもなく、松下幸之助と野間清治のただ二人ではないかと述べています。松下幸之助の偉大さはあえてここで述べる必要はないとして、野間清治の思想のユニークさは、「自分の心を磨く」ためであればどんな素材でも構わず取り上げるという、江戸時代に庶民教育で隆盛した「心学」的なアプローチを昭和初期の日本に復活させたという点にあると指摘しています。(※1)
釈迦であろうと孔子であろうとキリストであろうと、心を磨く糧となるものであれば何でも好きなものを使えばいいじゃないか、というスタンスは、教祖・教義を絶対とする従来の宗教のあり方から見ると、あまりに無謀というか、革命的なことだったのかもしれません。また、多神教的で、宗教的規範による束縛がゆるい日本だったからこそ、こうした考え方が生まれやすかったのかもしれません。いずれにしろ、そうした考え方が生まれてきたことは、あらゆる宗教的対立を克服するという意味で、人類の思想史上においてエポックメイキングな出来事だったといえるでしょう。そして、野間清治は、事業を通して次のような社会を実現することを夢見ていました。
「孔子が仁を唱え、釈迦が慈悲を唱え、キリストが愛を唱えたのも、すべて仲をよくする、人々仲をよくする、世の中を皆兄弟のごとくする、親子のごとくするという趣旨にほかならぬ。究極は『仲をよくする』ことに帰着するのであります。(中略)人類究極の目的といえば、四海兄弟ということである。万国平和ということにある。国と国、人と人と、互いに仲よく、親切を尽くしあい、平和な、幸福な、黄金時代を、理想郷を建設することを最後の目的として、子孫のためにぜひそこまでということで努力しているのであります」(『栄えゆく道』より)
とまあ、いささか手前味噌な論調となってしまいましたが、このような大理想の上に打ち立てられたのが講談社という会社だったわけです。脈々と受け継がれる創業者の思いを、弊社商品から感じ取っていただければ幸いです。
(2011.04.15)
※1 出典 渡部昇一『「仕事の達人」の哲学 野間清治に学ぶ運命好転の法則』、致知出版社、2003