43冊目
『帝国の落日』(上)(下)
『帝国の落日』(上)(下)
著:ジャン・モリス
訳: 椋田直子/池央耿
発行年月日:2010/09/06
本書は、英国の司馬遼太郎とも言われる著名な歴史作家モリスの代表作である。上下巻合わせて800頁以上の大作だが、面白いエピソードが次々に紹介されて読者をあきさせることがないのは、さすが英国の司馬遼と舌を巻く外はない。
もともと『パックス・ブリタニカ』『ヘブンズ・コマンド』と三部作をなす本書の原題はFarewell the Trumpets。『ヘブンズ・コマンド』がヴィクトリア女王即位の1837年から即位60周年の祭典を挙行する1897年までの大英帝国興隆期を描き、『パックス・ブリタニカ』が即位60周年に沸く帝国全土と帝国を支える群像を活写するのと対照的に、『帝国の落日』は繁栄の頂点から女王の死と二度の世界大戦を経て、大英帝国が解体されてゆく文字通り落日の過程を丹念に追跡する。かつて世界の陸地と人口の四分の一を支配し、まさに日の没することのない大帝国を築きあげた英国がどのように勃興し、繁栄の末に衰退していったか、著者はインド、アフリカ、オーストラリア、カナダから太平洋や大西洋の島々まで帝国各地を取材し、明らかにしていく。その探究心のエネルギーには脱帽するばかりだ。
著者ジャン・モリスは、大戦中、英国陸軍第九騎兵連隊の一員として従軍し、戦後は『タイムズ』紙特派員として英国登攀隊のエベレスト初登頂をスクープしている。その後、ヴェネツィア、シドニーなど世界の都市をテーマとした歴史紀行本の執筆活動に専念したが、大英帝国各地をくまなく取材する行動力はこの経歴からも窺える。さらに、『帝国の落日』に登場するチャーチル、アラビアのロレンス、インド独立の闘士ガンディーほか大英帝国の英雄、女傑、市井の人々に至るさまざまな人物の心理描写もリアルで細やかである。実はジャン・モリスはもともとジェイムス・モリスといい、1970年代に性転換して改名したという事実を知れば、男女の壁を超越した人間心理の並はずれた洞察力をもっていることも納得できるのである。
今では斜陽のイメージで語られる大英帝国だが、世界への情報発信力はまだまだ衰えていない。NHK衛星放送「猫のしっぽ 京都・大原 ベニシアの手作り暮らし」で人気のベニシア・スタンリー・スミスさんは、『帝国の落日』上巻の六章に登場する有名なインド副王カーゾン卿の曾孫にあたる。貴族社会を捨て、世界を旅するうちに日本に辿り着き、京都大原でハーブ研究家として暮らしながら自然を生かしたライフスタイルを提案している。故郷ダービーシアの実家はケドルストン・ホールと呼ばれ、広大な英国式庭園が世界中から観光客を集める人気スポット。やはり、日の没しない帝国の余光はいまだ消えていないのである。
(2011.03.15)