講談社100周年記念企画 この1冊!:『プレーンソング』

講談社100周年記念企画「この1冊!」

 

38冊目

『プレーンソング』

保坂和志

寺西直裕
文芸図書第二出版部 43歳 男

「新しい」作家と出会ったという感慨

書籍表紙

『プレーンソング』
著者:保坂和志
発行年月日:1990/09/27

 一九九〇年四月、ひと足先に就職した友人のN君が「群像五月号にすごい新人作家が出ているぞ!」と興奮気味に連絡してきた。彼は評論や随筆を主に出版していた某出版社(今は存在しない)に、編集と営業の兼務のような形で入った男である。

 その前の月、別の友人に勧められ、群像四月号に掲載された佐木隆三さんの「身分帳」という重厚な長篇を読んでいた。

 文芸雑誌を読む友人が複数身近にいたというのは驚きだが、ともかく大学の図書館でその「すごい新人」の作品を読んでみた。

 目次に(新人)とある、保坂和志というひとの「プレーンソング」という三三〇枚の小説。

 練馬区の中村橋駅近くのマンションに住む若いサラリーマン、居候たち、近所に住む猫が織りなす、まさにとりとめない日常ばかりがそこにはあった。世の中に大問題は存在していないような描かれ方なのだ。世界では社会主義政権が崩壊したり、天安門事件が起きたりしていたのだが。

 自分が馴染んできた日本の近現代の作品とは、かなり肌合いが異なるものだった。

 若い時はかえって保守的なものなので、文学とは、思想や政治状況といったいわば「大文字」の問題や、貧困、病気、道ならぬ恋など生活上の困難などをシリアスに書くものだと思いこんでいたのかもしれない。先の「身分帳」はまさにシリアスな作品だったし、それゆえ感動したのだった。

 かたや「プレーンソング」。文章の流れに従ってごく素直に読み進めていくと、いつの間にか読み終えてしまい、不思議な感触が残った。友人の多くは就職したばかりで充実した忙しい日々を送っている一方、留年したので大学でのんびりした日々を過ごしており、好景気の世間を横目に見つつも将来に不安を感じてはいない(!)自分の置かれた立場と、この作品に流れている空気とは、どこか近しいものだったと覚えている。

 N君には「面白かったよ」と伝えたが、自分でもうまく整理がつかない感想まで詳しく言わなかったのではないか。「新しい」という響きだけが、かすかに胸のうちに残された。

 その後、保坂さんの次の長篇「草の上の朝食」が群像九三年三月号に載り、その年の野間文芸新人賞となる。

 九一年に講談社に入社した私は九四年に群像編集部に異動し、保坂さんの担当を引き継いだ。前任者から「この人は芥川賞は取れないだろうけど、売れる作家になってほしいから頑張ってくれ」と言われ、そんなものかと思いつつ、ともかくも九六年の五月号に「季節の記憶」という長篇を書いてもらった。この作品は平林たい子賞と谷崎潤一郎賞の二賞を受賞した。いわゆる力作とは少し違うけれど良い長篇なので、「谷崎賞が取れるといいな」と編集部で口にしたら、「それはムリだろう」と先輩に言われた。保坂さんはその前年に「この人の閾」で芥川賞を受賞したばかりだった。

「季節の記憶」は原稿の段階で完成していたので、「どうも自分のやることはなさそうだ」と思い、実際ほとんどなにもしなかったが、編集長から「主人公の態度が気に入らない」と漠然とした文句を言われた。一応保坂さんに編集長の感想はやんわり伝えたが、予想通り一蹴され、そのまま掲載された。

 作家と編集者が作品をめぐって組んずほぐれつ……といったようなエピソードが語られることがあるが、この場合そういうことはまったくない。ただ、保坂和志という「新しい」作家が登場し、たまたま同時代に出会うことができたという感慨が、文学の現場で仕事をするうえで根拠なく力を与えてくれているような気がする、と今は思う。

 つい先日も「プレーンソング」を読み返し、どこがどうとは言えないが相変わらず面白かった。

(2011.03.01)

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