32冊目
講談社文庫『アラビア遊牧民』
講談社文庫『アラビア遊牧民』
著者:本多勝一
発行年月日:1972/06/15
テレビでは女子大生が笑顔をバラまき始めていたけれど、映画「ノルウェーの森」の冒頭のような学生運動の立て看板がまだまだ目立った1980年代の早稲田大学。大学で知り合った癖のある友人に誘われ「探検部」なるところに興味本位で首を突っ込んだ新入生。ひとけのない寂しい一号館の照明の乏しい階段を登り切った、薄汚れてむさ苦しい屋根裏部屋的部室には、なんだか得体の知れない雰囲気があった。そもそもいったい”探検”ってなんなんだろう? 上級生にまず読めと言われたのが本多勝一だった。
本多勝一は新聞記者の立場ではあるが、当時まだ残っていた”秘境”を旅し克明に記した。『アラビア遊牧民』もその一冊である。親本は朝日新聞社で刊行は1965年。僕の生まれた翌年、ベトナムで北爆が開始された年だが、当時の本多勝一は後年の左翼的言説はまだ希薄だったのではないだろうか。書棚にあったものは講談社文庫版で27刷となっている(文庫化は朝日文庫より講談社が早い)。
本多勝一は相棒カメラマンと共にサウジアラビアの遊牧民−ベドウィンを訪ね二ヵ月ほどの旅をする。アラビア半島の国境も判然としなかった時代、砂漠にはオイルマネーによる近代化は全く及んでいなかった。
『アラビア遊牧民』を読み返すと、詳細な図説や写真の質の高さ、膨大な参考文献には驚くべきほどだ。そして実際、著者のたどっている道はまだまだ危険な未知の行程なのだ。宗教や政治についての碩学、詳細な地誌、文化人類学的考察、砂漠の生物観察などが結集した高度な文献である。紀行文やルポルタージュの域をはるかに超えている。なぜ本多勝一を読むべきなのか? それは、探検部がなにをしようとしているのかを分かろうとすれば、理想とされる最高の成果を読むのがいちばんだからだ。
「サバクに生きる人間は、ベドウィンであろうと、いわゆる文明人であろうと、肉体的に耐暑力が異常である必要はない。必要なのは、水と、少しくらいの渇きに負けぬ冒険の意思なのだ。」(本書より)
若き本多勝一の冒険心と知力が最高レベルで昇華した『アラビア遊牧民』を読んで、僕はそれに立ち向かい乗り越えようとする優秀な部員にはなれなかった。学祭のときに合宿を行う掛け持ちを許さない体育会的気質もあったりしたが……。奥多摩の洞窟探査でも、天神平の雪上訓練でも”探検”という大きなクエスチョンは常に頭にあった。結局、本多勝一の探検ではなく自分にとって探検とはなにか、という答えをだせなかったのだ。
世界が80年代よりさらに劇的に狭くなった今、へこたれず”探検”への答えを追求する者がいる。おなじ探検部出身の高野秀行だ。僕は、彼が相棒カメラマン森清(本社写真部)とトルコのUMAを探し旅した『怪獣記』の編集に携わった。彼の文章は本多勝一と違い意外性や諧謔に富みエンタメ度が高い。しかし本多勝一が感じた”冒険の意思”はおそらく等しく持ち続けていると思う。編集者としてその一助が出来たことは幸いに思っている。そして僕にとって『アラビア遊牧民』は、大学時代の様々な読書の扉を開けてくれた一冊である。
(2011.02.01)