23冊目
ロマンブックス『甲賀忍法帖』
ロマンブックス
『甲賀忍法帖』
著者:山田風太郎
発行年月日:1967/05/24
それは小学校高学年の頃だったと思う。
図書館を2つかけもちし、家にいつも読む本を確保しているはずだったのが、その日に限って、読む本がつきてしまった。
今もそうだが、私は手元に本がなくなると、居ても立っても居られない気持ちになり、キューっと心臓がつかまれるような気分になる。
このままでは、読む本がない状態で日曜の夜や月曜日を過ごさなくてはならない。
普段近づかない父の部屋に忍び込んだのはそんなときだった。父の本棚には、いわゆる「大人の本」が並んでいて、小学生の心をときめかせるような本はほとんどない。子供の目から見ると、すえた加齢臭が匂ってくるような、つまらなそうな本ばかりに見えた。
そのなかから、かろうじて、「ひまつぶし」くらいはできる本を探さなくてはならないのだ。1冊選んだ。装丁もオヤジっぽい。古めかしそうだし、つまらなそう。だけど、本がないんだからしようがない。
それが講談社から出ていた『甲賀忍法帖』だった。
その本は全然つまらない本ではなかった。いや、つまらないなんてもんではない。その面白さは、その後のわたしの読書傾向を大きく変えたと言っても過言ではなかったのだ。
『甲賀忍法帖』には、凄絶な人の生き死にがあり、孤高の職業観があり、高雅な恋愛があり、本能をゆさぶるエロスがあり、つまり想像力の極北があった。「ありえない」が私の掌のなかで次々起こる。一瞬たりとも、読む者を引きはなさない過剰なエンターテインメントだ。
その日、わたしは布団で、山田風太郎という作家を発見し、時代小説の面白さに目覚めた。そして、山田風太郎を読んだりしている父を見直した。
その日から、父の本棚は、私の本棚になった。山田風太郎はもちろん、松本清張とも山本周五郎とも吉川英治とも父の本棚で出会った。
どの作家にも、読む者を巻き込む磁力があり、読む以前の私と読んだ後の私を確かに変えていく力があった。
私が中学生のとき、父は単身赴任をはじめた。そしてその後、さまざまな赴任地を回り、一緒に暮らすことはなくなった。父が定年退職し、ようやく家に戻れたとき、私はすでに家を出ていた。
父の葬儀のあと、私は父の部屋の本棚をのぞき見た。日々変態を繰り返し続けていたであろう父の本棚には、すでに山田風太郎はなかった。新しい作家たちと、新しい本が並んでいた。そのなかから、私は何十冊もの本を盗んだ。その中には、定年後、父が趣味としていた「十八史略」の父の翻訳のプリントアウトもある。父らしい生真面目なばかりでの丁寧な翻訳だ。面白みのかけらもない。
でもそのひとは山田風太郎を読んでいたのだ。
本棚は、その人の「脳」をさらしているようなものだという。他人の本棚には、自分では、絶対選べない本がたくさん並んでいる。
今日も私は、こっそりと夫の本棚に近づき、自分では買いもしないであろうビジネス書やら社会学の本を盗み見る。
娘の本棚から、ティーンラブやらの、まったく食指の動かない本をのぞき見る。
そして思いがけない「面白さ」と出会うのだ。
面白い本は、他人の本棚にある。『甲賀忍法帖』がそれを教えてくれた。
(2011.01.01)