講談社100周年記念企画 この1冊!:週刊少年マガジン 1986年7月2日号

講談社100周年記念企画「この1冊!」

 

11冊目

週刊少年マガジン 1986年7月2日号

 

五十嵐隆夫
専務取締役 63歳 男

週刊少年マガジンは偉大だ!


講談社は、過去発行したほぼ全ての雑誌を合本(数冊分をまとめて1冊に製本したもの)として保存しています。 写真は五十嵐が編集長になった、最初の週刊少年マガジンの表紙です。

週刊少年マガジン
1986年7月2日号
発行年月日:1986/07/02

 週刊少年マガジンの創刊は1959年3月、当時小学生だった私は本屋にならび創刊号を手に入れたことを覚えている。その後、中学生、高校生になっても常にマガジンが愛読書だった。同じく創刊された週刊少年サンデーの都会的なスマートな内容よりも、泥臭いが直球勝負のマガジンが私の性分にあっていた。

 さて、私の仕事における週刊少年マガジンとの関わりについては、1966年に講談社に入社後、25年の長きにわたってマガジンの編集部に在籍、その間に編集長を11年間担当しました。愛読者が好きな雑誌の作り手になるという幸せな巡り合わせでした。

 編集長になった当初は、ライバル誌週刊少年ジャンプの黄金時代でした。雑誌も単行本も売れに売れて、人気作は映像化されてテレビや映画でヒットを記録、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

 我が家の話で恐縮ですが、その頃のほろ苦いエピソードを紹介します。私の娘は当時13歳でご多分にもれず熱狂的なジャンプファンでした。部屋には雑誌と単行本がうず高く積まれ、夕食時には常にジャンプのアニメ番組をテレビで観ているという状況でした。私には腹が煮えくり返る程の状態でしたが、このつらい日々はその後も三、四年続きました。私が家庭での安息をとり戻すには、ジャンプを打倒するしかなかったのです。

 数年後、才能あふれる漫画家と仕事ができる部下に恵まれて雑誌が充実して、部数が300万部、400万部と伸びました。

『はじめの一歩』『金田一少年の事件簿』『GTO』などのヒット作が続々と誕生して、テレビ化されて高視聴率でお茶の間を席巻していきました。

 ある日、「どうしてもマガジンを読みたいので、会社から持ってきて欲しい」と娘が私に懇願してきました。娘の言葉は天にも昇る程にうれしかったのですが、私は大人げないと知りながら娘にこう返答しました。「マガジンは売れに売れてるから、編集長のお父さんでも手に入らない。自分のこづかいで書店で買いなさい」

 その後、娘はマガジン党になり雑誌を買い続けました。もちろん、親としてその分のこづかいを値上げしてあげました。

 私は現在、編集現場を離れて一読者としてマガジンを愛読しています。マガジンに横溢している少年の純粋性が素晴らしい魅力だからです。還暦を過ぎた私でも少年時代を想い返すことができて回帰できる点が魅力なのです。私はマガジンを読むたびに少年になり回想するのです。正義をめぐり友人と言い争いをしたありし日を。失恋をして友人に励まされたあの頃を。対校試合に負けて泣いたあの時を。すべてが昨日のように蘇ってくるのです。少年の熱い心の時代に戻れる雑誌。やはり、週刊少年マガジンは偉大な雑誌だ。

(2010.11.15)

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