3冊目
『蜂起には至らず 新左翼死人列伝』
『蜂起には至らず 新左翼死人列伝』
著者:小嵐九八郎
発行年月日:2003/04/21
学生時代、アルバイト先のテレビ局で、夜になると局内で酒を呑んで(泊まりの仕事だった)、われわれ学生相手に「いかに自分の大学時代は熱かったか」を滔々と語る定年間際の局員がいた。タダ酒のご相伴に与れるのは嬉しいのだが、はっきり言って鬱陶しかった。最後は必ず「それに比べて、最近の学生は……」というお説教になるのが常だったからだ。
会社に入ってからも、全共闘世代のオッサンたちは周りに何人もいて、やっぱりテレビ局のオッサンと同じように「最近の若い奴らは……」と言っている人も少なくなかった。
〈なんで、このオッサンたちの話は、基本的に過去形ばっかりやねん〉
もちろん口に出して言えるはずもなく、会社員生活も5年を迎えた頃。たまたま先輩の紹介で担当させていただくことになったのが、この本の著者・小嵐九八郎さん。バリバリの活動家だった。初対面のとき、柔和な表情で淡々と語るかつての同志の死、生き残った者の後悔と恥の感覚などに心底驚いた。これまで聞いていた学生運動自慢とは全然違った。小嵐さんの周りでは20歳そこそこの友人が何人も、機動隊のゲバ棒によって、対立する党派によって命を落としていた。
それから約2年、小嵐さんとそうした死者たちを巡る取材を続け、PR誌「本」で連載のうえ、まとまったのがこの本。異常に人が良く60歳になっても現役の活動家に会ったり、取材依頼に対して党派のバイブルについての感想文を書かされたり、取材先で軟禁されそうになったり……。そう言えば、9・11のアメリカ同時多発テロ(もちろん、取材相手の人々はテロとは呼ばないけれど)を知ったのは、連合赤軍事件の生き残りの方に取材をして帰宅した夜だった。
この本には27人の死者が取り上げられている。いずれも運動のなかで命を落とした人々である。重苦しい内容だし、流行のできごとが書かれているわけでもないし、小嵐さんには失礼ながら、そんなに売れないだろうと思った。でも、時代は超えられるんじゃないか、とも(現在は講談社文庫で読めます)。いつの時代でも学生時代はもっとも「死」を身近に感じる時期だろうし、いくつかの大学ではテキストとして使っていただいているとも聞いた。自分の担当した本を「この1冊!」として紹介するなんて恥知らずと言われそうだけれど、私も時々、読み返しては「(ほぼ)無名の27人の死者」について考える。
(2010.11.1)