2冊目
『窓ぎわのトットちゃん』
『窓ぎわのトットちゃん』
著者: 黒柳徹子
発行年月日:1981/03/05
入社年度によって多少前後するが、講談社では入社後、社内で一週間ほどの連続講義を聞いたあと、書店実習に出かける。まずは本が売れる現場を体験せよ、という趣旨だ。
私が入社したのは、『窓ぎわのトットちゃん』が刊行された年だった。
研修担当の先輩社員から託された「書店さんに迷惑をかけないようにしっかり働くこと、そして『窓ぎわのトットちゃん』をしっかり売ってくること」という言葉を胸に、それぞれ勤務先となる各地の書店に散る。ほぼひと月、エプロンをかけ、荷をほどき、レジに立つのだ。
黒柳徹子さんが小学1年生で「退学」となり、転校したトモエ学園での生活を描いたこの自伝的小説は、その後大ベストセラーとなり、100万部突破という偉業を成し遂げる。実習前の必読書だったトットちゃんの物語を一気に読んだ私は、すっかり忘れていた自分の中学校時代の出来事を思い出した。そうか、この学校だったんだ――。
中学3年生の時、学校で突然、頭髪検査がおこなわれた。部活が運動部だったので髪はずっとショートにしていた私は全く問題なかった。でも、朝礼で生徒を一列に並ばせ、髪の長さをチェックする先生たちの姿を見るうちに、大きな疑問が湧いてきた。
数ヶ月が過ぎ、最後まで残ったのは3年生の男子が3人、そして検査が始まってから髪を伸ばし始めた私ともうひとりの女子。明日までに切ってこなかったら退学です、と先生に通告され、その夜初めて両親に、退学になるかもしれないと告げた。反抗期だがまだ中学生、さすがに「どうしよう」と気弱になっていたのだろう。すると父が「村立の中学にそんな権限はない。でも、もし退学になったら、黒柳徹子が通った学校に行けばいい」と、笑って言った。
東京へ行くにも半日かかる山奥に住んでいた我が家にとって、今思えば間違いなく非現実的なこと。それに、今気づいたけれど……トモエ学園は小学校だよ!?
自分の父親を早くに亡くし、小学校卒業後すぐに働かなければならなかった父は、どこでトモエ学園を知ったのだろう。今となっては確かめるすべもないが、その返事を聞いたとき、なぜか胸のすく思いがして、「ああ、もういいかな」と、髪を切ることに決めていた。ほかの4人とも相談し、15歳の小さな抵抗はそこで終わった。
『窓ぎわのトットちゃん』は今もまったく古びることなく、子どもから大人まで読み継がれている。それはなぜかと考えたときに浮かぶのは、小林校長先生がトットちゃんに言った「君は、本当は、いい子なんだよ」という言葉だ。子どもも、大人も、いつの時代も、不安をかかえている。でも、「だいじょうぶ、なんとかなるもんだ」と自分の存在を無条件に受け止めてくれる肯定感が、この本にはあふれている。中学3年生だった私に、父が返してくれた言葉にも。
(2010.11.1)